2010年4月3日土曜日

香港上陸 リパルスベイ

9月11日 

昨夜は対岸に停泊中の英国の荷役の雑音で寝付けず、
つい寝過ごしてしまい7時半に目覚めた。身支度のあと甲板に出る。



前面に展開する香港の市街、山の緑に目を奪われる。
軽快な建物、紺碧の海、さわやかな朝の空気を通して夢見るような風景に心躍る。
朝食もそこそこに案内に来られた味の素の駐在員、T氏に連れられて上陸。
三菱の方も来られたが、他にも相当に案内する人のある様子なので拝辞した。
定期のランチで本島に上陸し、郵船支店に少憩の後、
オープンのハイヤーで悠々と島巡りのドライブに出掛けた。

香港は上海を上回る830里、30平方里の小島、北緯22度18分、人口60万、
1842年アヘン戦争の結果、英国領になったもので
近々百年の記念祭があるのだが、それが面白いことに支那人の主催なのだそうだ。
英人の植民政策の徹底ぶりが伺い知れる。

自動車はフルスピードで熱帯植物の間を快走する。
スマートな洋館群のあいだを起伏曲折、
名も知らない深紅の花が咲きみだれる市街の背面を、
南岸の白砂の海岸リパルスベイ・ホテル(1982年に廃業)で少憩。
ビールを傾けながら、熱帯植物が繁茂し色とりどりの花が咲きみだれる庭を眺めた。

右手、半島の先端には某支那人富豪の別荘がある。
一部分が増築中だが、ゴシック・キャッスル風で塔があり、
懸涯にかけた釣橋、海岸に沿う城壁は個人のものとは思えない。
聞くと3億以上の資産家ということで、これは第7夫人の別荘とのことだ。
これは驚くことでもなく、氏は他にもこれ以上のものを数多く所有しているという。

青島老山あたりは別荘の増加が多く、その多くが支那人の所有であるという。
上海仏国租界○の支那人富者の大掛かりな別荘も見た。
それに対し、桟橋に繋いだ小舟を住居として産声を上げる者、
市街の大○高○の軒下に折り重なるようにしている下層人、
その貧富の差は甚だしい。


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