2010年4月2日金曜日

上海、照円丸の船上

9月8日 午前6時頃目覚めた。


丁君がさぁおかしい。熱があり下痢するらしい。
体温は38度5分もあり、これは大変。
午前9時には出帆するのだが、どうする、
だから言わんことではない、めずらしく歌など歌うからだと笑う。
しかしあと3時間ほどある。就床のまま荷物の整理などをして送り出す。


O氏が来宿され8時、フラフラの丁君を助けて郵船桟橋に横付けの照円丸に来る。
丁君は見送りの方々に失礼して船室に入れる。

30余日の航海を託する我が照円丸の勇姿、
このまま時間さえたてばマルセイユまで連れて行ってくれるのだと思うと緊張の心が緩む。
約1ヶ月分の日用品、夏衣などをトランクから出してタンスや引出しに入れる。
あれほど暑かった上海も、船上はいたって涼しい。室内には冷房装置があるからだ。


やがて定刻午前9時、
三井、郵船、ビューローの方々、M氏、O氏らに見送られて出帆。
波止場には支那人の子供が逆立ちや逆転などの軽業を演じては金を求める。
5銭白銅を布施する。ちょっと外国気分だ。
デッキに昇れば夏空がよく晴れわたり、水平線近くの白雲は真夏を思わせる。
揚子江の濁波が旅情をそそる。


午後0時半、ボーイが昼食の銅鑼(どら)の代わりの銭琴を鳴らしながら廊下を通る。
食堂の入口にテーブルが定められている。
私と、丁君と、1等運転手の3人だ。
テーブルに着いたが丁君はいなく、
1等運転手は業務の都合で香港から出るとのことで1人寂しい。
鬼門のフランス語のメニューが出される。
さっぱりわからず、ボーイに適当に出すよう頼む。


7時夕食。私は黒服に白チョッキで出た。
外国人および日本人の一部は夏のタキシード、夫人は夜会服の方も見えたが大部分は普通服、
なにぶん夏のタキシードは持ち合わせていないのでこれでご免こうむることとする。


8時からデッキで活動写真。同船客と11時頃まで話した。
船旅ではこんなことを通じて、互いに自然と懇意になるわけだ。

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