2010年4月1日木曜日

大連出発


9月2日 いよいよ出発の日がきた。

午前11時出帆なので朝食は梅本一家と家族一同と共にする。長男がいないのは寂しい。
2、3杯の別れ酒ですでに陶然、門前で記念撮影をし、
聖徳神社および大連神社の神前に一路平安と家族一同の無事を祈り、
大連病院で長男と40分ほど談笑する。
院長および主事殿にかさねて依頼したところ、
あと2週間で退院できると聞き一層安心する。
長男とかたい握手をし、10時乗船。




すでに見送りの方々がいて、制服姿の自分に面食らっている様子だ。
M君が役所を代表してわざわざ見送りに来てくれた。
重々感謝に堪えず、次第に増えていく見送りの方々にそれぞれ挨拶したつもりだが、
非常な混雑ゆえに失礼したことと思う。
家族とは一言もかわす時間がないうちに見送りの方々は下船、
屋上に、ベランダに、あるいは桟橋に見送りの方々の姿が見える。

船が桟橋を離れる。
皆様の姿も次第に見えなくなり黙礼、挙手、ハンカチなどの挨拶を交わすうちに、
皆様による万歳の声もエンジンの音にかき消され、防波堤を外にやがて見えなくなった。

丁君と「いよいよ出発したな」と顔を見合わせる。

大連丸には青島行きの鉄道部K氏と福昌のK氏、大倉のI氏がいた。
船室は2人部屋で私が下段、丁君が上段。ソファもある。満員で、1人の外国人がいた。
英語で挨拶を受け面食らう。
名前を名乗ってごまかした。祝電書状がたくさん来ている。感謝の念を新たにする。
船中、K氏より欧州の旅行談を聞き得ることが多かった。

夕方から波が高く揺れがひどい。2人とも食堂に出ずベッドに入った。
こんなことでは30余日の海上生活も先が思いやられ心細い。



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