2011年2月11日金曜日

ブリュッセルの建築

ブリュッセル中心街は土産物屋でいっぱいだ。
中央銀行やドイツ銀行、幅一尺五寸ぐらいのアーケードの道路、大学なども見た。
これらは政府の管理ではなく、州と市と個人の出資による経営だそうだ。
高台で国会記念碑の大円柱がある取引所も見た。
その下は無名戦士の墓で通行人は脱帽して通る。私たちも敬礼した。
高さ140尺ぐらいで頂上にはレオナルド1世の巨像が建ち、
入口にはブロンズのライオンがある。
台座の女神は国語、出版、教育、信仰、自由を表したものである。


公園を抜け、凱旋門のあたりは良い眺めである。
左右には自然科学博物館や工芸美術館などが、凱旋門の両翼としてよく出来ている。
これで大体の見物は済んだが、郊外のブルバードにある約20年前の建築家を騒がせた
セセツションのレジデンスを再度見るためにタクシーを走らせた。

美しいマロニエ並木、古い様式の建物の中で、断然特殊な存在である。
近くに新様式のものもたくさん出来ているが、これには追従を許さない。
たいして大きなものではないが、その高低のプロポーショナリーな点、
ディテールの大胆かつ繊細な線、
壁面は白砂岩石に金色のモールディング、塔の型も自然で良い。
特に玄関の車寄せの人像はブロンズに金をあしらったのみで、非常に有効に活かしてあった。


2011年2月8日火曜日

ブリュッセル 〜Brussels〜

正月25日 
今日は午前中にブリュッセル見物をして午後はアントワープに行く予定だ。
シティの観光ツアーは10時頃から。
ホテルへ車が迎えに来たがあまり客はなく、
私たち以外には2人連れのポーランド人だけなので、そのまま自動車で出掛けた。
市内を見晴らす高台にそびえる裁判所を見る。
どっしりとした偉大なものである。実に壮観で裁判所としては世界無比だろう。
しかし裁判所があまり立派なのは感心できない。
しかも建築的に見てもあまりよろしくない。ディテールもどうかと思う。


その前で陸軍省を建設していたが、
新様式のさっぱりとしたものでその方が遥かに良いと思った。
次に宮殿の前へ出る。4階建てでさほど大きなものではないが、
屋根のあるフレンチ・ルネッサンス風の落ち着いたもので、
中央ドームにはベルギー国旗が翻っていた。
その前は道路を隔てて美しい公園で、花壇に続いて噴水塔や彫像がある。
これは大したものではないが内部はミュージアムで、
多くの名画があるということだが休みで観られなかった。


大古刹グチュル寺院も見た。
ゴシックの大伽藍は丘の上に屹立し、市内を見下ろしている。
市の中心にグランプラスという小さな広場がある。
ここにはネーデルランド風の市役所がある。
古いものでその周囲のものと共に市の名物とされ、美術的建築の粋とされている。
外部にはさかんに金色を用いてある。
この市役所広場を南へ出ると細い街路のかどに、
鉄柵で囲んだ例の世界の子「小便小僧」の噴水がある。
一坪ぐらいの広さで「小僧」は一尺ぐらいしかない。
これがブリュッセルの元祖ともいい、世界中の人から愛されている有名なもので、
小さいおちんちんから小便ならぬ噴水をにこやかにやっている。



2011年2月3日木曜日

ベルギー、ウォーターローへ。

正月24日 

タクシーをパリ北駅へ走らせた。今日は日曜日で朝も早いので市街は静かだ。
ノーストップで早く着いた。列車はリザーブしてあるのでその席に着く。
また姉のことを思いながら寝不足の頭が重い。



12時40分、ベルギー、ブリュッセル南駅に着く。
ホテル・パレスに投じる。一流のホテルである。
昼食後、早速ウオータロー見物に出かけた。
一行は日本人が私たち2人、ドイツ人が1人、英国人が1組。
案内は英仏独3ヶ国語でやる。日本語も二言三言は知っていた。
なかなか面白いガイドで説明の合間に諧謔を入れて皆を喜ばせる。
英国人夫婦がチョコレートを出して勧める。フランス人はタバコを差し出す。
英国人は日本に行ったことがあるといい、横浜だの神戸だのの話をしきりにする。
船員だろうフランス人もしきりと好意を示す。和やかなものである。


街はずれの立派な公園に入った。
極彩色の支那建築と向かい合わせに本物の五重塔に木彫りの美しい楼門があった。
外人連れは『ジャパンジャパン、ベリーグッド!』などしきりに褒める。
立派な住宅街を通った。
美しいブルバードの両側になかなか気取った家がしばらく続く。
コンクリート舗装の立派な道路が設けられている。
やがて森に入る。
紅葉の落ち葉を敷いた一直線の樹木、奥底の知れぬ森のようだ。
今日は日曜日なので自動車でピクニックに来ている人がたくさんいる。
途中でユーゴーの家を通り過ぎ、ウォーターローの街に着く。寂しい街だ。


ここはナポレオンの古戦場でピラミッド型の丘の上に巨獅子の記念碑が建ち、
その下にナポレオン敗戦のパノラマ館がある。パノラマは随分久しぶりに見た。
それは30年ぐらい前に東京で、奉天合戦だったと思う。
記念碑に登ったが石造りの階段を約230段、登り着いたら息が切れるようだった。
たくさんの小学生が先生に連れられて登っていた。教師がしきりに説明していた。


宿に帰ったのは5時頃。夕食後、1時間ばかり静かな街を散歩した。
しかし少々寒いので早々に寝た。