2011年9月2日金曜日

ナイヤガラ行き



3月11日 
朝食に食堂へ出たら、三越の宇都宮君がいた。
列車には案内人が乗っていてしきりに色々と勧める。
何だか高額なことを言うので取り合わずにいたが、
駅に着く頃には3人で6ドルにまけたので頼むことにした。


駅前から少し行くとすぐに滝つぼだ。
上手の川岸にあるプロスペクト公園をドライブする。
芝生の上にたくさんのキジがいる。河の急流を眺めながら
アメリカ領の上流にある石橋を渡って樹木の茂るゴード島に下りた。
ここはカナダ滝とアメリカ滝の中間に位置する。
遠くから見ていると今にも押し流されそうだ。
岸型の柵によって万雷のような滝の響きが耳を聾するばかり。
地響きがものすごい。上方からこの滝を見ると滝つぼには違いないが、
幅が広いので河瀬のようである。しかし高さは約160尺もある。
轟々たる水勢、箔々たる滝音を聞きながらもとの場所に引き返した。


アルベ橋の鉄橋は滝つぼの下流にあり、橋の上からの眺めは実に壮観だ。
橋を渡れば英国領カナダで、パスポートの調べがある。
滝つぼの対岸に出ると二大滝つぼを一望できるところに建物があり、
夏期はここから彩色投光機で電飾の滝つぼを見せるそうだ。
建物の中では土産物を売っている。
ここの一隅からエレベーターで約150尺の滝つぼへ下る。料金は1ドル。
長靴や防水着を着せられて下った。
横穴を通りカナダ滝の裏に出る。雪と氷に閉ざされた穴から眺めると、
天地も一瞬で崩れ落ちるような大音響で、
眼前に落ちる大飛沫の美観壮観はたとえる言葉もない。


地上へ引き返しさらに下流へ行く。大渦巻きのところである。
この上にケーブルカーが架けられているが、冬場でクローズドだった。
ナイヤガラの滝はエリー湖の水が流れてオンタリオ湖に注ぐ中間にある。


午後1時半、宇都宮君と別れてバスでウイランドまで行く。
午後2時半、デトロイト行きの列車に乗る。
しばらくはカナダの汽車旅行である。エリー湖の北側を走る。
満州によく似た平地で、所々に落葉樹の林があり、
広い耕地は一面の芝生で耕作されていない。

2011年8月8日月曜日

ニューヨーク発・ボストン行き

列車はすでに寝台が出来ていた。
10時頃宿のマダムと別れ車両の寝台に入る。
12時頃出発したのだが眠っていて気付かなかった。


3月10日 
午前7時。黒人のボーイに起こされた。
列車はすでにボストンに着いていた。
洗面もそこそこに駅の待合室に出て、大勢の人と一緒にcafeのカウンターで
紅茶とドーナツの朝食を済ませた。たったの10セントだった。
その後タクシーを雇って見物に出た。


ここは話に聞いていた通り、ロンドンによく似ている。
古くさく、煤けて、道路も実に不規則だ。
人口75万、チャールズ河を隔ててケンブリッジに対し、
旧市街は昔日の植民地時代の名残があり、
当時の木造建築など歴史的なものが保存されていた。
ワシントンストリートの繁華街を、ケンブリッジの大学街などを見てまわった。
ボストン大学や図書館、トリンテー寺院を観て、ボストン美術館に入った。
ここは日本の美術品がたくさんあり日本館が出来ているほどだ。
ここで昼食を済ませ、再びタクシーで辺りを見物した。
とあるデパートに飛び込むと、例のシッドタウン・ストライキをやっていた。
他に観るところもないので停車場に帰る。
出発時間までかなりあるので構内にあるシネマを観た。
午後6時半出発、ナイヤガラ行きである。
この列車の寝台はコンバートになり、上下式で洗面台なども付いていた。


さらば、NY

3月8日 
明日はいよいよ当地出発である。諸方へ挨拶まわりをする。
鈴木商店や満鉄に行った。領事館ではカナダ入国の証明をもらう。
朝から雨で濡れながら名残りの街を歩いた。

夕食は私たちの送別の意味でホテルが寿司を作ってくれ、食堂は賑わった。
食後、満鉄の連中と再度ビールで大いに談じた。

3月9日 
いよいよ今夜ニューヨーク出発である。
午前中は荷物の整理など出発の用意に費やした。
ホテルのマダムによると、私たちが予定していたビューローによる旅程は
とても贅沢なもので、まるで貴族の旅行のようであり、
それではかえって面白みがなくそんな必要はないというので、
自らビューローと交渉して一切を変更し、とても経済的な旅程になった。
マダムの親切は感謝に堪えない。
私たちの不認識がかえって諸方に大変迷惑をかけた。
言われるままでいささかの遠慮がこんなことになり心すべきことである。

午後は最後の名残りと1人で2階バスに乗りワシントンスクエアまで行って、
近くのワナメカーに寄り、子供用の雨傘などを買い求めた。
ホテルの支払いは全部で約110ドルだった。
16日間で1日平均7ドルほど。
8時半頃から銭高氏ほか在宿の方々に見送られてホテルを出た。
マダムはセントラル・ステーションまで送ってくれた。
4個の荷物のうち2個はサンフランシスコまで直送することにして、
保険料を1ドル50セント支払った。