2010年4月6日火曜日

南洋の地で、日本人の資質をみる




船室に帰って瞑想に浸る。


日本の過去の文化が、大陸もしくは南洋を母体としたことは争えない事実である。
然るに果たしてこの「母体」は、今いかなる姿であるか。
またその母体から生まれた我が日本は、今いかなる状態にあるかを知らねばならない。


日本は、文学、美術、はたまた宗教をこの母体から摂取した。
それらを今日かように優れたものにしたのは、日本人の持つ特性でなくてなんだろうか。
唐の着物はそのまま我が平安朝の着物である。
いかに美化し、純化し、永久化したかを見るべきだ。
仏教を生んだインドに仏教は滅びている。
儒教を以て立った支那に今日儒教はない。
私に教典を教え、仏像を教え、工芸を教えた朝鮮もとうの昔にそれらを失している。
それなのに我が日本はその仏教を、一切の工芸を、今日に生かしつつある。
それは最早単なる松明送りではない。
目にも新たな生命の噴水となって送り出しているのだ。


私は今、東洋をあとに西洋に入るインド洋のまっただ中である。その感想は切実だ。
我が民族に真に誇るべきものがあるとするならそれは
独創ではなく常に若い吸収力だ。
そしてものを永久化する力、
摂取と選択と維持と強化である。
その特性こそが我らに与えられた資質といえるだろう。

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