ラベル アジア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アジア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年4月3日土曜日

香港発、南シナ海へ

島めぐりを終え、ピークトラムウエーで海抜555メートルのビクトリア・パークに昇って
港内を展望する。対岸に九龍島を望む。
広東料理の招宴に列席する。

午後3時出帆。
そそり立つピークの峰に別れを惜しみつつ、照国丸は滑るように港外へ向う。
そばには無数の小舟を操り、奇声をあげて船客に銭投を求める者がいて、
投げられた貨幣を水中に潜水してはたちまちに拾う。
支那人の子供の群中には、4〜5歳くらいの子供を抱いた女子が片手で櫓を操り、
別の者が長い綱を差し出す。そうした姿をカメラに収めた。
香港ではいたるところで婦女子の労働者を見た。
着衣などではちょっと見分けが付かないが、
運搬その他などに従事しているのはほとんどが婦女子だった。

今日の夕食は日本食のエキストラがあった。マグロの刺身に思わず過食する。
10時頃、丁君と話す。
今までの遠慮がちや引っ込み思案はよくない、
厚かましく、相当無遠慮にやってのける勇気が必要だという。

はたして丁君が帰るまでにどのくらい図々しくなれることやら。

香港上陸 リパルスベイ

9月11日 

昨夜は対岸に停泊中の英国の荷役の雑音で寝付けず、
つい寝過ごしてしまい7時半に目覚めた。身支度のあと甲板に出る。



前面に展開する香港の市街、山の緑に目を奪われる。
軽快な建物、紺碧の海、さわやかな朝の空気を通して夢見るような風景に心躍る。
朝食もそこそこに案内に来られた味の素の駐在員、T氏に連れられて上陸。
三菱の方も来られたが、他にも相当に案内する人のある様子なので拝辞した。
定期のランチで本島に上陸し、郵船支店に少憩の後、
オープンのハイヤーで悠々と島巡りのドライブに出掛けた。

香港は上海を上回る830里、30平方里の小島、北緯22度18分、人口60万、
1842年アヘン戦争の結果、英国領になったもので
近々百年の記念祭があるのだが、それが面白いことに支那人の主催なのだそうだ。
英人の植民政策の徹底ぶりが伺い知れる。

自動車はフルスピードで熱帯植物の間を快走する。
スマートな洋館群のあいだを起伏曲折、
名も知らない深紅の花が咲きみだれる市街の背面を、
南岸の白砂の海岸リパルスベイ・ホテル(1982年に廃業)で少憩。
ビールを傾けながら、熱帯植物が繁茂し色とりどりの花が咲きみだれる庭を眺めた。

右手、半島の先端には某支那人富豪の別荘がある。
一部分が増築中だが、ゴシック・キャッスル風で塔があり、
懸涯にかけた釣橋、海岸に沿う城壁は個人のものとは思えない。
聞くと3億以上の資産家ということで、これは第7夫人の別荘とのことだ。
これは驚くことでもなく、氏は他にもこれ以上のものを数多く所有しているという。

青島老山あたりは別荘の増加が多く、その多くが支那人の所有であるという。
上海仏国租界○の支那人富者の大掛かりな別荘も見た。
それに対し、桟橋に繋いだ小舟を住居として産声を上げる者、
市街の大○高○の軒下に折り重なるようにしている下層人、
その貧富の差は甚だしい。


大きな地図で見る

香港

9月10日 今日はいよいよ香港に着く予定だ。夜になるらしい。
右側に続いて島が見える。帆の○ったジャンク船がしきりに往来する。
香港で出す予定のハガキを読む。

7時半頃からぽつぽつと右手に見えだした燈火も次第に増え、
8時にはパイロットや英国官吏が乗り込んで、スモーキングルームで旅券の検査がある。
左右はまるで光の海、街のある側はなんという美しさだろう。
山上まで一面の燈火、イルミネーションのようで本当に素晴らしい夜景だ。

船は九龍島の桟橋に横付けした。
桟橋の先端は半円形でこれに船を直角に付け、暫時回して横付けとなる。
たくさんの苦力(クーリー)が乗り込んだ。
三菱商事の山本氏らに出迎えられる。夜分のこと、ご迷惑に恐縮する。
今日はすでに遅いため上陸せず、光の海を眺めながら就寝する。



大きな地図で見る

上海発、照円丸の船上 その2




9月9日 午前7時 目覚める。
丁君が平熱になり、共に喜ぶ。しかし朝食は尚1人で寂しく済ませた。

図書室をのぞくと、和洋書の備え付けがあるではないか。
雑書を持参したのは愚案だったようだ。

午前10時 デッキで救命衣の実施演習。
汽笛を合図に船室備え付けの救命衣を各自が付けて、
異様な姿で指定のボートの位置へ集まる。
船長その他の点検があって無事に済んだ。
こんなものを実際に使用するようなことがあっては大変だと笑う。

丁君ようやく回復。理髪に行き、しばらくして頭をきちんと分けて戻って来た。
そのスマートぶりを奥様に見せたらどうかと笑いあう。
浴後、丁君は和服姿で初めて食堂に出た。
食後、サロンでパーサーと満州論を闘わせる。
この郵船のサンフランシスコ線は香港を起点としているそうだが、
一刻も早く満州国産業の開発のため大連を起点とするよう切に希望しておいた。

デッキではダンスが始まった。
外国人連れがしきりに踊り、日本人は誰もフロアへ出ない。

2010年4月2日金曜日

上海、照円丸の船上

9月8日 午前6時頃目覚めた。


丁君がさぁおかしい。熱があり下痢するらしい。
体温は38度5分もあり、これは大変。
午前9時には出帆するのだが、どうする、
だから言わんことではない、めずらしく歌など歌うからだと笑う。
しかしあと3時間ほどある。就床のまま荷物の整理などをして送り出す。


O氏が来宿され8時、フラフラの丁君を助けて郵船桟橋に横付けの照円丸に来る。
丁君は見送りの方々に失礼して船室に入れる。

30余日の航海を託する我が照円丸の勇姿、
このまま時間さえたてばマルセイユまで連れて行ってくれるのだと思うと緊張の心が緩む。
約1ヶ月分の日用品、夏衣などをトランクから出してタンスや引出しに入れる。
あれほど暑かった上海も、船上はいたって涼しい。室内には冷房装置があるからだ。


やがて定刻午前9時、
三井、郵船、ビューローの方々、M氏、O氏らに見送られて出帆。
波止場には支那人の子供が逆立ちや逆転などの軽業を演じては金を求める。
5銭白銅を布施する。ちょっと外国気分だ。
デッキに昇れば夏空がよく晴れわたり、水平線近くの白雲は真夏を思わせる。
揚子江の濁波が旅情をそそる。


午後0時半、ボーイが昼食の銅鑼(どら)の代わりの銭琴を鳴らしながら廊下を通る。
食堂の入口にテーブルが定められている。
私と、丁君と、1等運転手の3人だ。
テーブルに着いたが丁君はいなく、
1等運転手は業務の都合で香港から出るとのことで1人寂しい。
鬼門のフランス語のメニューが出される。
さっぱりわからず、ボーイに適当に出すよう頼む。


7時夕食。私は黒服に白チョッキで出た。
外国人および日本人の一部は夏のタキシード、夫人は夜会服の方も見えたが大部分は普通服、
なにぶん夏のタキシードは持ち合わせていないのでこれでご免こうむることとする。


8時からデッキで活動写真。同船客と11時頃まで話した。
船旅ではこんなことを通じて、互いに自然と懇意になるわけだ。

上海、国際飯店



昼食は三井銀行支店佐藤氏に招かれて上海パークホテル(国際飯店)に行く。


24階建てで食堂は14階にある。有名な競馬場に面した建物で、外装は1階までが大理石、
上部まで全部見たがエレベーターはオーチス製で14階までの急行だ。少しの揺れも音もない。
食堂は中央をダンス場にしたキャバレー式で、周囲にテーブルを配している。
中央の2本の柱は変形で、朱色に金色の模様を配したもの。
外面の窓は全面開口で1枚ガラス、約150尺の高さから市内を一望できる。
別室があり、支那料理を供す。
床は1寸厚の板を円形に小口張りにしていて、これは面白いと思った。
この部屋から食後、折り重なるスカイクレーパ、
道路に行列する自動車の流れ、東洋の小ニューヨークをシネマに観た。


宴の後はデパート巡りをしたのだが、やや熱があり気分がすぐれず急いで宿に帰った。
すぐに発汗剤を飲んでベッドへ入る。熱を測ると38度もあった。
郵船その他からの招宴を辞退し、丁君だけが味の素の招宴に列席した。


10時頃、上機嫌の丁君が鼻歌まじりでご帰還。
なんでも宴席で珍しく歌ったそうだ。変わったことがなければよいが。
発汗剤を飲み頭から布団を被っていると汗が出るわ出るわ、
寝間着を交換すること4回、何もかも汗でべとべとだ。





大きな地図で見る




2010年4月1日木曜日

上海、新市街地の街並み


9月7日 

昨夜、あまりの暑さに窓も入口も開けて寝たせいか、今朝は少々頭が重い。
O氏の案内で黄浦江(こうほこう)付近の新市街地を観る。

市の中心からおよそ1里くらいある平地の畑の中に、縦横に舗装道路が完成している。
その中心に市政府の建物が完成しており、壁は蘇州産の赤花崗岩で
大きな緑色の古代屋根を架けた2層楼だが、屋根の中にもう1層あるらしい。
正面には大階段が設けられている。建物は全体的によくまとめられていると思う。
これと約500メートル離れて相対に図書館および博物館が建てられている。
この2つはシンメトリーな、同形のものである。
建物全体は市政府同様、赤花崗岩であるが、
中央にいずれも極彩色の楼門形の木造屋階がある。
これがまるで取って付けたようで上下がマッチしておらず、
支那現下の政状を表現しているとでもいうべきだろうか…。

私たちが新京でやろうとしているものも、この轍を踏まないことを切に思う。
しかも聞くところによれば図書館も博物館も内容はなく、
ただ外向きの体裁と、世界に見劣りしないようにとの面子だけというあわれなものだ。

しかし市街から2里も離れ、道路、下水、水道、電燈、電話一切の
設備を完備した勇気と努力は貴ぶべきだ。
のちに聞いたことだが、この建設地域はほとんど無償に近い価格で一般から買い取り、
現在相当の価格で払い下げているという。
個人的収入を目標としたものであるとか、沙汰の限りであきれるほかない。

これらの建物のデザインは多分に米国の匂いがする。
庭園を同時に完成させているのは学ぶべきことだが、
滑稽なのは、四川路南京路の大繁華街にあるのと同様の交通整理機を、
ほとんど人通りもないこの道路に設置して交通巡査まで置き、ゴー・ストップをやっている。
実に面白いが笑うこともできず、それと同様に
繁華街の支那人デパートの上階には各種の娯楽設備があり、
人に知られてはいるものの観衆は1人もなく、
音楽をかけて奇声を挙げ、真面目くさって演技する様はむしろ奇異に映った。


上海


9月5日 午前8時 ようやく台風一過。

大連丸は青島を出帆。同部屋の外国人は別室に去り、
アモイ駐在海軍武官のS大佐と相部屋になった。
昼食後、豪快な世界海軍の動向を聞く。
一時も静止をよしとしない姿を目の当たりにするような心地になり、深い感銘を覚えた。
S大佐は私の学友と同期生で、親も子もなく天涯孤独の身だという。
国家のため犠牲的な活動を続けている。自ずと頭の下がる思いがした。


9月6日 船は濁流の揚子江から黄浦港に入り、
S大佐の指示する上海事業の説明を聞きつつ午後1時、ようやく郵船波止場に着く。
なかなか暑い。華氏90度以上あるそうだ。
同窓のO氏、三井支店長S氏、泰和洋行のN氏、ビューローの方々に出迎えられた。
O氏の自動車にて旅館豊陽館へ向かう。
私は再遊だが丁君は初めてなので、3時頃からO氏の案内で市内見物に出掛ける。

ゼシフイルト公園の野趣、日曜ということもあり相当な人出だ。
弁当を開く日本人、散策する外国人、モダンな支那人と、
国際都市の有様を如実に見る。
帰途、便通を感じておおよその見当をつけた場所へ飛び込んでみたが、
番人の支那女に断られてしまい、たしか有料便所だったはずなのに…と
不思議に思ってよくよく見ると「lady’s only」とあり皆で苦笑する。

夜はM氏の招宴で日本料亭「三幸」に行く。席にはべる美奴は皆九州産だ。
1日の行程で着く地の利であるため、なるほどと思う。
午後10時頃からO氏の案内で「ハイアライ」へ行く。

スペインの国技とかで、2人の選手が負けぬ気で、
長さ60メートル、幅15、6メートル、高さ20メートルほどの長方形のコートに
黒塗りの壁、長辺の片側が見物席になっている。
1ゲーム6人で、2人の選手が各々色入りの上着を着て、
片手にやや半円形で中凹のラケット状のものを持ち、
白いボールを相当な勢いで60メートル先の黒い壁へ叩きつける。
その跳ね返ってくるのをもう一方の選手が受け、また叩きつける。
それを繰り返すのだが、そのうち一方が受け損じたりライン外に出たりしては負け、
次の選手が向かう。しばらくして6人のうち最高点者が勝ちとなる。
それだけのことに対して数万もの観衆が競馬のように、これと思う選手に賭ける。
1枚5円の投票があれば300円くらいになるらしい。
目の色を変え見栄も外聞もなさそうだ。日本人も随分見受けた。


チンタオ


9月3日 午前7時
丁君に起こされて目覚めた。すでに青島に入港している。

正午出帆、午前中上陸。久々なので市内見物をしようとすると、
出発の折から事務長より『台風の恐れがあり明朝出帆する』と通達があった。
ゆるゆると見物に出て、K氏の好意により同氏の自動車で
15〜6年前の記憶を呼び起こしつつ、午後1時までにひと通りの見物を終えた。

想像していたほど市内は荒れておらず、
むしろ道路および市街地は拡大・整備され、清潔も保たれている。
ただ自国意思の発揚というか、目実の山上あるいは目標の海岸へ
色彩濃厚・型態古風の●門鐘●を建設しているのは仕方のないこととはいいながら、
青島の特色ある建築美を大きく損なっている。

しかもここも時代の流れにはあらがえず、
主要な海岸にはモダン味豊かな大建築がグロテスクで、周囲と調和のとれていないこと甚だしい。
その昔「忠の海」と称した海水浴場も賑わいを見せ、
老山(ラオシャン)の個人別荘は数を増し、
例の赤屋根こそ一様だが、大型小型のものが趣き深く建ち並び、
その庭園は今を盛りと咲き競う草花に囲まれ、刈り込まれた芝草の美しいこと。
ひと夏を気ままに過ごす外国人の余裕ある生活、なんと羨ましいことか!

中山公園の自然美と、どこにでもまず出来るモダンな大運動場を見て、忠霊塔を参拝した。
巨大な塔もまた裏寂しいものだ。
塔下の有名な桜も雑木の繁るにまかせ、やや古渇している様子は感慨無量。
最近完成したカトリック寺院を参観する。
姿かたちは巨大だが、内部はさほど見る価値はない。
大きなステンドグラスはイミテーションだ。
ニッチにある宗教像はろう細工で、これはさすがに本物のよう。
これよりも在来のドイツ教会はその外観において、
内部の手法と効果的な色彩の大胆さは遥かに優れていると感じた。

この先は自動車を流し、思い出すままに散策した。

やがて料亭三浦屋にて涼をとる。
大連から専勤しているという美妓らが席にはべる。
U氏のうわさ話などをし時間が過ぎるのを忘れ、
午後10時帰船。旅情はもっぱら寂しいものだ。