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2011年9月2日金曜日

ナイヤガラ行き



3月11日 
朝食に食堂へ出たら、三越の宇都宮君がいた。
列車には案内人が乗っていてしきりに色々と勧める。
何だか高額なことを言うので取り合わずにいたが、
駅に着く頃には3人で6ドルにまけたので頼むことにした。


駅前から少し行くとすぐに滝つぼだ。
上手の川岸にあるプロスペクト公園をドライブする。
芝生の上にたくさんのキジがいる。河の急流を眺めながら
アメリカ領の上流にある石橋を渡って樹木の茂るゴード島に下りた。
ここはカナダ滝とアメリカ滝の中間に位置する。
遠くから見ていると今にも押し流されそうだ。
岸型の柵によって万雷のような滝の響きが耳を聾するばかり。
地響きがものすごい。上方からこの滝を見ると滝つぼには違いないが、
幅が広いので河瀬のようである。しかし高さは約160尺もある。
轟々たる水勢、箔々たる滝音を聞きながらもとの場所に引き返した。


アルベ橋の鉄橋は滝つぼの下流にあり、橋の上からの眺めは実に壮観だ。
橋を渡れば英国領カナダで、パスポートの調べがある。
滝つぼの対岸に出ると二大滝つぼを一望できるところに建物があり、
夏期はここから彩色投光機で電飾の滝つぼを見せるそうだ。
建物の中では土産物を売っている。
ここの一隅からエレベーターで約150尺の滝つぼへ下る。料金は1ドル。
長靴や防水着を着せられて下った。
横穴を通りカナダ滝の裏に出る。雪と氷に閉ざされた穴から眺めると、
天地も一瞬で崩れ落ちるような大音響で、
眼前に落ちる大飛沫の美観壮観はたとえる言葉もない。


地上へ引き返しさらに下流へ行く。大渦巻きのところである。
この上にケーブルカーが架けられているが、冬場でクローズドだった。
ナイヤガラの滝はエリー湖の水が流れてオンタリオ湖に注ぐ中間にある。


午後1時半、宇都宮君と別れてバスでウイランドまで行く。
午後2時半、デトロイト行きの列車に乗る。
しばらくはカナダの汽車旅行である。エリー湖の北側を走る。
満州によく似た平地で、所々に落葉樹の林があり、
広い耕地は一面の芝生で耕作されていない。

2011年8月8日月曜日

ニューヨーク発・ボストン行き

列車はすでに寝台が出来ていた。
10時頃宿のマダムと別れ車両の寝台に入る。
12時頃出発したのだが眠っていて気付かなかった。


3月10日 
午前7時。黒人のボーイに起こされた。
列車はすでにボストンに着いていた。
洗面もそこそこに駅の待合室に出て、大勢の人と一緒にcafeのカウンターで
紅茶とドーナツの朝食を済ませた。たったの10セントだった。
その後タクシーを雇って見物に出た。


ここは話に聞いていた通り、ロンドンによく似ている。
古くさく、煤けて、道路も実に不規則だ。
人口75万、チャールズ河を隔ててケンブリッジに対し、
旧市街は昔日の植民地時代の名残があり、
当時の木造建築など歴史的なものが保存されていた。
ワシントンストリートの繁華街を、ケンブリッジの大学街などを見てまわった。
ボストン大学や図書館、トリンテー寺院を観て、ボストン美術館に入った。
ここは日本の美術品がたくさんあり日本館が出来ているほどだ。
ここで昼食を済ませ、再びタクシーで辺りを見物した。
とあるデパートに飛び込むと、例のシッドタウン・ストライキをやっていた。
他に観るところもないので停車場に帰る。
出発時間までかなりあるので構内にあるシネマを観た。
午後6時半出発、ナイヤガラ行きである。
この列車の寝台はコンバートになり、上下式で洗面台なども付いていた。


さらば、NY

3月8日 
明日はいよいよ当地出発である。諸方へ挨拶まわりをする。
鈴木商店や満鉄に行った。領事館ではカナダ入国の証明をもらう。
朝から雨で濡れながら名残りの街を歩いた。

夕食は私たちの送別の意味でホテルが寿司を作ってくれ、食堂は賑わった。
食後、満鉄の連中と再度ビールで大いに談じた。

3月9日 
いよいよ今夜ニューヨーク出発である。
午前中は荷物の整理など出発の用意に費やした。
ホテルのマダムによると、私たちが予定していたビューローによる旅程は
とても贅沢なもので、まるで貴族の旅行のようであり、
それではかえって面白みがなくそんな必要はないというので、
自らビューローと交渉して一切を変更し、とても経済的な旅程になった。
マダムの親切は感謝に堪えない。
私たちの不認識がかえって諸方に大変迷惑をかけた。
言われるままでいささかの遠慮がこんなことになり心すべきことである。

午後は最後の名残りと1人で2階バスに乗りワシントンスクエアまで行って、
近くのワナメカーに寄り、子供用の雨傘などを買い求めた。
ホテルの支払いは全部で約110ドルだった。
16日間で1日平均7ドルほど。
8時半頃から銭高氏ほか在宿の方々に見送られてホテルを出た。
マダムはセントラル・ステーションまで送ってくれた。
4個の荷物のうち2個はサンフランシスコまで直送することにして、
保険料を1ドル50セント支払った。

ロキシーシアター

3月7日 
日曜。晴れているが少々寒い。
午前中は日誌をまとめ、荷物の整理をする。
昼食後、ナショナルミュージアムやアートギャラリーなどを観た。


夕方からSUBでタイムズスクエアのロキシーシアターに行く。
大きなもので殿堂のごとく大広間から階段、部屋などは金ピカで、
これが映画館とは思えない。
階上の観覧室で観たが50人くらいの列を作り入場する。
大きな観覧室のギャラリーは舞台を真下に見、谷底のような感じだ。
客席はまったく満員で、ちょうどレビューが始まっていた。
何万という観客、レビューの美しいこと、ただ呆れるばかりだった。
2時間ばかり観て午後6時頃から招待を受けていた三井銀行のY氏邸を訪問した。
丁君は気分がすぐれず私1人で行く。
ご夫妻のもてなしに思わず11時頃まで話し込んだ。
満州の話や旅行談などで時間が経つのも忘れるほどだった。



ホテルに帰ったら満鉄の若い連中が4、5人サロンでビールの林を作っている。
いつしか仲間に入って大いに気炎を上げ、
台所からビールを持って来てはたいらげて、
ついに種切れとなり気がついたら2時半だった。


2011年7月24日日曜日

NYに見る、人類の発展と幸福の意味





ニューヨークはマンハッタン、ブロンクス、ブルックリン、
クイーンズ、リッチモンドの5区からなる。
有名なのはマンハッタンで、ニューヨークの中心を成し世界一を誇る施設がある。
摩天楼や港湾設備、市街の電飾などすべて世界の先端的に完備されている。
マンハッタンの南部、ダウンタウンは表現と繁華の中心で
50丁目あたりのラジオシティ付近まで集中している。
この世界の驚異的物質文明の極致的存在であるマンハッタンは
ハドソン河にある長さ13里幅2里の南北に長い島で、
東にハドソン河、西にイーストリバーがあり、
この島は今から約300年前、オランダの植民地として認められ、
わずか24、5ドルの値の物品とで黒人によって交換されたものだ。
いまさらながら物質による文明の急速な進歩には驚くほかない。


市街は整然とした直角的な道路が東西南北に通じ、
両側に雲表にそびえる高層建築が建ち並ぶ。
高架電車、路面電車、バス、地下鉄などが縦横に通じ、
自動車と人の流れは洪水のように氾濫している。
河の両側の横断用に各々2つのトンネルと、ニュージャージーに向けた1つがある。
その他に大鉄橋がたくさんあり、ハドソン河の沿岸には世界一の大築港で
岸壁には無数の埠頭が櫛の歯をみるようにできており、この延長が約5万間とのこと、
輸出入の貨物が年額4千万トン、大洋航海の巨船が20分に1隻の割合で出入りし、
毎日300隻の碇泊をみるそうである。


ニューヨークは年間1,500万トンの食糧を消費する一方、
約5万の工場から年間約70億ドルの生産をして、
隆盛な内外貿易は浪費の王城であると同時に生産都市でもあるのだ。




このこのようにニューヨークは世界の先端をいく物質文明の極致的存在で、
ドルと科学の力による米人気質を遺憾なく発揮している。
しかしここで目の当たりにした生活は、人間本来の要求と生存の価値を
真実に表現し体得しているとは言い難いのではないだろうか。
やむを得ずとはいえ、市街は上へ上へと延び、人は一日太陽を見ず、
土を踏まない生活を余儀なくされ、神経質になり、機械的な人間となり、
極端な個人主義で家族制度は破壊され、物質的娯楽により癒されるしかなく、
極端な刺激がなければ満足できない。
したがって動物的になり野蛮性を帯びつつある。
科学文明の進展につれ、
そこに精神性の発達が並行していなければならないことを痛切に思う。

NYのエンターテインメント

3月6日
 
昨夜から雪でかなり寒い。
午前中からダウンタウンの三井銀行へ行き、最後のクレジットをドルで引き出す。
100ポンドばかり残っていたがこれが約500ドルだった。
この資金でサンフランシスコまで行かなければならない。
すでにビューローの支店に少々贅沢だったがこれに200ドル、
ここの支店に約100ドルいるとして、残額は約200ドルだ。
これで大陸横断中の小遣いからLA、サンフランシスコの滞在費に充てる。
船中の費用も相当入り用だろう。計算してみるとどうやら過不足なしにいくようだ。
三井銀行支店長のY氏と30分ばかり色々と話した。明日の夕方自宅へ招待を受けた。


その後、35丁目までバスで出てビューローへ行きK氏を訪問。
今日は土曜日で、2時半からメトロポリタンオペラでマチネーを観る。
入るとすでに開幕中で2〜3ドルの席はない。
やむなく5ドルの席に行くと2階のボックスだった。夜は25ドルだそうだ。
アレキサンダー・デューマ作の「椿姫」をやっている。
小説で読んだことがあったのでよくわかり、興味深く観ることができた。
特にここは音楽が良いようで、観覧席は7階までありほとんど満員だった。


一旦ホテルに帰り、食事のあと商工省の某氏とフレンチカジノに行く。
ここは食事をしながらレビューやシネマなど色々な余興をやるので、
入場料として3ドルとるがその金に飲食代も含まれる。
私たちは食事の後だったので数種の洋酒をとった。
館内はモダンで白と赤の2色にステンレス使いで案外と高尚にできており、
客も中流以上と見え、多くがタキシードなどを着込んでいる。
ここのレビューはなかなか美しい。
背景に光線を応用して極端に美しい色や線ができて見事なものだ。
これらを背景に半裸の女優が美しいダンスをやり、
その間には最新流行の婦人服のモードを見せるようなものもある。
ことにアラビアンナイトの一場面などは実に夢のような眺めだ。
10時頃帰宿。外はだいぶん寒い。

建築群にあらわる、アメリカ合衆国の姿



ワシントン市はホドマック河をまたいで自然の景勝を基とした雄大な計画で造られており、
ニューヨークの井型とパリの放射型を併用し、
建築物は皆、配置、環境、敷地などとの調和がよく研究され、
一貫した計量によって官公署の建築などもよく統制されて実に美しく雄大。
理想的な都市計画である。


ここへ来てアメリカ人のよき面を見たような気がする。
しかし統制された官公署建築に接して一般建築の粗雑なものがあるのは
どこの国にも共通した悩みと見える。
相当以上に留意されているここワシントンでさえ、これは仕方のないもののようだ。


また、ここで特に感心したのは多くの官庁群がデストリックヒーティングで、
したがって煤煙防止においても相当留意されているそうで、
白い建物が多いがその多くはあまり汚れた様子もない。
まだ暖房時期であるがどこを見ても目につくほどの煙は上がっていない。
空は澄みわたり、実に清澄な街である。


外国人にとっては国の威力も個人の偉大さも、形に表現しなければ承知できないもので、
ワシントン市も現代アメリカ合衆国の隆盛と首都の権威を
有形的に表現するがために、特に新設された大都市である。
歴史が短いので古跡を持たないアメリカは、記念物を造ることに相当に苦心しているが、
金の力で出来たものはいかに立派なものでも奥ゆかしさはない。
説明も欧州では耳にしない金高や大きさと高さのことばかりである。


とはいえ、ワシントン市を1日で見物するのはなかなか骨の折れることで疲れた。
停車場へ行き絵はがきなどを買い求め、午後4時ニューヨークへ戻った。

ワシントンの建築を廻る




近くには陸・海軍省、国務省、美術館、ハン太平洋館、
赤十字社などといった官公署の建物が建ち並び、街並は実に美しい。
海軍省は大公園に面して現在新築中である。
リンコルンが狙撃されたフォーヅ劇場や、息を引き取った家などの前を通った。


その辺りから再度公園に入る。
ホドマック河の岸辺にはたくさんの大株の桜の並木がある。
この桜は二十年前に東京から寄贈したものだが、完全に育って花もよく咲き、
満開の頃は非常な人気を呼んでいるそうで、周辺のホテルなども見物客で満員になり、
一ヶ月くらい前から予約しなければならないそうだ。


車は河や池、泉のほとりを快走し、丘の上のリンカーン記念館に出た。
ちょうど大公園に議事堂と対立して建っている。
白大理石ドリツク風の殿堂で、内部にリンカーンの座像が帳面に据えられている。
さらに車は進み、ホドマック河に架けられた石橋を渡り、
正面高台の国立墓地を見てアーリングトンの丘を郊外へ進み、
カステイス・マンションという邸宅に行く。
ここはジョージ・ワシントンをはじめ、
カステイスまたはリーなどのかつての住居であり、当時の状態のまま保存されている。
ここはホドマック河口で実に景勝の地である。

2011年6月29日水曜日

ワシントン市内見物

 
3月5日 
一夜明けると幸いにも好天気となり、早速タクシーで見物に出掛けた。


まず議事堂を見る。19世紀の完成で、ホドマックの平原丘山にそびえ、
全市を一望できる景勝の位置にある。内部の各部屋を見た。
礎石はワシントンにより据えられたのである。
広間のニッチには米国偉人の銅像や大理石像があり、壁には歴史画が架けられ、
貴衆両院の議場も見たが意外と小さく簡単なものだ。
議員席も傍聴席も同一平面にあり、2階のギャラリーも議長席の上まで出来ている。
外観は好く、均整のとれたルネッサンス様式で、多くは白大理石が用いられ、
上方の大部分は塗装仕上げ、全体的に白色で美しい。


次いでコングレス・ライブラリーや大学などを見て、議事堂背面の大庭園に出た。
正面にはワシントン・モニュメントが天にそびえて建っている。
全体的に白色花崗岩で出来たオベリスクは実に壮観である。
地上550尺あり世界各国の石材を蒐集して建造したもので、中には日本のものもある。
内部は回り階段とエレベーターがある。




続いて大統領官邸・ホワイトハウスを観た。
真っ白な砂岩石で常緑樹の茂る中、蒼い芝生を前に美しい内部も観られた。
各部屋に様々な記念品が陳列されている。もちろん現在も使用されているのだが、
政務に差し支えないところは見物できるようになっている。

2011年6月24日金曜日

Washington 〜ワシントン〜

3月4日
午後2時半、サブでペンシルバニア駅に行った。
駅のさらに地下にサブの改札があり、広場でワシントン行きの往復切符を買う。9ドル。
汽車は満員、プルマンの普通列車で流線型電気機関車であった。
発車間際にまず一服とやっていたら外から窓をコツコツと駅員に注意された。
この車両は喫煙車ではなかったのだ。もっとも私ばかりではなく、
やはり旅行者だろう外国人の婦人も同様に注意されていた。

ハドソンのトンネルを出た辺りから列車は荒んだ工場街を走る。
粗末な木造住宅の小汚い街並が続く。
フィラデルフィアを過ぎるあたりから車窓の景色も良くなる。
午後6時半頃、夜のワシントン・ユニオンステーションに到着した。
とても大きな美しい駅である。駅前の広場に出ると正面には国会議事堂があり、
投光機によって真っ白く光った端麗なドームが闇夜の空にしんとそびえている。

指定されたコンチネンタルホテルは駅前近くで歩いて行った。相当なホテルである。
ロビーは客でいっぱい、部屋も決まり食堂で夕食を済ませ、
夜の市内見物をと外へ出たがあいにくの雨。濡れながら歩いたが次第に雨が激しくなり、
他に歩いている者もなく勧められるままにタクシーに乗り辺りを一巡した。
モニュメントの前から官衛街を横目に繁華街を通ってホテルへ戻る。
明日の天候のことなど気遣いながら就寝する。


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最後の旅仕度

3月3日 
今日は桃の節句である。
ホテルに来ている西部の日字新聞を見ると、さかんに雛人形の広告が出ていた。
ロサンジェルスやサンフランシスコには約56万の同胞がいるのだから、
日本と何もかも変わりはないらしい。午後はビューローに行った。
アメリカ大陸横断旅行のスケジュールができて、一切の準備も依頼できた。
勧められるままに一等列車の座席急行券、寝台料、
各宿泊先のホテルも予約してもらうことにした。これら一切で約2百ドル。
約17日間の旅で1日約9ドル、日本円で30円ほどである。
もちろん食事代などは別で一週間の汽車賃も別になる。ホテル代およびチップなどもいる。
これらを何もかも含めると恐らく1日60円ぐらいになるだろう。
最後の旅を一流ホテルに泊まり、紳士面をして歩くのも思い出になるだろう。
しかしクレジットの方も残り僅かで、あと100ポンドほどしかない。
この先の予算を建ててみると横浜までやっとというところ。
しかし費用面では大体過不足なしに予算通りに行えた点は成功である。
とはいえ少々心細い。土産物なども目をつぶって通らなければならない。


帰りはメッシー百貨店に立ち寄って昼食を済ませた。
それから53丁目の建築専門書店に行ってみたが特に欲しいものも見つからず、
新刊雑誌等を注文して帰った。
夜は再度味の素支店長の案内で日本人倶楽部へ行く。
欧州各地のそれに対し、実に立派なものである。
すでに建物・土地の所有権を有し、たびたび日本からも貴賓がみえているらしく、
その都度の御下賜品などが飾られてあった。


ホテルには新京の長女から手紙が届いていた。はじめて姉の死を報じてきた。
急性肺炎に胃潰瘍を併発したとのこと、妻をはじめ皆々が死に目には会えなかったそうだ。
想像どおりである。しかし妻は小生の出発以来姉と約5ヶ月間も同居したのだ。
今から考えれば決して偶然ではなかったように思える。
ちょうど私が横浜に着く頃は、百か日になる。早いものだ。
次第に私にも姉の死を現実としてはっきり捉えることが出来てきた。
実に人間の命ほどわからないものはない。
あれほど元気で私を送ってくれた姉が、僅か1年足らずで故人になろうとは。

2011年5月14日土曜日

アメリカの民家見学

2月28日 
今日は日曜日で朝からZ夫妻らと郊外の住宅地見物に出かけた。
塀を設けず庭園の手入れが行き届いた面白い住宅を見て歩いた。
新築中のものも今日は日曜日なので作業を休んでいるため、
無断で飛び込んで遠慮なしに見学した。
小さなバンガローだが石材と木造の接合に妙味を見せ、
木の代わりにメッシュやハイリッブを巧妙に使用していた。


来る時は地下鉄を使用したのだが、帰りは汽車を使いペンシルバニア駅で下車、
近くのニューヨーク・ホテルで食事をして、タイムズスクエアで活動写真を観て帰った。
Z氏は大阪の同業、Z組の御曹司で、夫婦連れで世界漫遊中、
夫人は少女のような若くて可愛らしい方である。
まわりは一人旅が多く、仲睦まじいこの若夫婦は周囲をさぞかし羨ましがらせたことだろう。

NY名所を一巡

2月26日 
朝からホテルの自動車で再び市内見物に出た。
まずはダウンタウンの繁華街をひとまわりし、
ブルックリンの長橋を経てロングアイランドに渡り、
マンハッタン・ブリッヂを渡ってハドソン河口に出て河底を通った。
ホーランド・トンネルを通り対岸ニュージャージーに出て、工場街から住宅街、
マンハッタンの北端、ワシントンブリッジまでドライブ。
再びマンハッタンへ入り、アップタウンを通過、
最近竣工したヘルゲートブリッジへ引き返してコロンビア大学前をリバーサイドに出て
グランドトンボを一巡した。ホテルに戻ったのは午後2時頃だった。


ニュージャージーに渡った頃から外は吹雪になり、
セントラルパークを過ぎてホテルに着くまで真っ白い雪景色の街並を眺めながら快走した。
これでニューヨーク全市を大体見た。
碁盤の目状に出来た街路なのでわかりやすい。
一人歩きも容易で、にわかニューヨークっ子のような気になれる。

同朋訪問、建築談義

2月25日 
M氏を事務所に訪問した。
エンパイア・ステートビルの25階にいるM氏は渡米40年、
日本人建築技師として当地で重要なポジションにあり、業界各種の委員を務め、
過去において幾多の建築条例の立案改訂に尽力され、設計完成されたものも多い。
有名なフィフス・アベニュービルなどもそうだ。
エンパイア・ステートビルにも関係されたM氏から、
ニューヨークの建築事情について色々と聞いた。
満州国の宮城の話なども出て、書棚から数冊の書籍を出してきて親切に進言された。
インド建築を基調とした新様式の発現を望まれていた。


あまりに熱心に話されるので、つい食事時間を過ぎてしまい午後2時頃辞す。
帰途はセントラルステーション近くの建築展覧会をのぞき、
次にロックフェラーセンターの科学博物館を見物した。
この近くにあった最新のアパートのモデルの展示会なども見たが、
なかなか斬新なもので得るところが大いにあった。

2011年5月5日木曜日

セントラルパーク



2月24日 
今日は日曜で午前中は休養し、午後1人でセントラルパークを散歩した。
この公園はニューヨークの中心にあり、長さ2里半、幅半里、
現在の地価は日本円で約15億円以上だとか。
岩山や広い緑地、松林その他の森を擁し、桜の木なども随分ある。
池や泉にはたくさんの水鳥や動物が遊び、樹間の緑地にはリスが棲息していた。
公園は大きいが南洋や欧州のものとくらべると殺風景なようだった。


帰途は近くの天体館に入った。
円形ホールの天井に活動写真による星座を映し、日没から夜明けまでの天体の動きを、
まるでセントラルパークで見ているかのように感じられる。これを音楽付きで説明する。
暗闇の中で音楽を聴きながら、いい気持になってつい眠ってしまった。


この建物続きにあるナチュラル・ヒストリー・ミュージアムを観た。
大きなもので、正規の時間までに3分の1も見ることが出来なかった。
陳列品の多くは拡大された模型が実物に揃えてある。
その説明なども実に要領を得ていて参観者には便利なものだ。
各種の動物についてはパノラマ式に自然の事物を背景に、
棲息の様子が子供にもわかるように造られている。

2011年5月3日火曜日

5th Ave, Broadway...



次いでマンハッタンの南端、ハドソン河口のバットリーパークに出て、
クラシックで立派な税関の建物を見て、海岸にある水族館をのぞき、
バスで支那人街に出て、盛んなチャプシーで昼食。
その後、市役所や裁判所を見物し、次にウールワース・ビルディングを見た。
最近までこれが最高層のものだったが、クライスラービルが出来て、
エンパイアが竣工して最高位を譲ったのだが、
均整のとれたゴシック様式の美しいもので、私が好きなビルのひとつだ。




その後ワシントン・スクエアに出て、ここで二階式のバスに乗り、
アップタウンまで約1時間をかけて行った。
上品な雰囲気のフィフスアベニューを通り、
繁華なブロードウェーの大通りを2階正面の座席から右や左、
上を下にと驚異の目を輝かせながら行った。
やがてリバーサイドに出て、無名戦士の記念碑やグランド将軍の墓などを詣で、
左眼下にハドソン河を見下ろす。右側の美しい道路や沿岸の小公園越しに、
7〜8階から15階ぐらいまでの高級アパート群を嘆賞しながらメディカルセンターに出た。
これは各種病院の集合で、クリーム色タイル張りの15〜6階建ての建物の集まりである。
その近くには最近竣成したワシントン・ブリッジがハドソン河上に横たわっている。
この河上の近くに尖塔を頂くリバーサイド・チャーチがある。
次にコロンビア大学を見た。学生の乗り付けた乗用車がたくさん駐車していて驚いた。


目下建築中の聖ジョン・キャセドラルも見た。
竣工のあかつきには世界最大のものになるそうだ。
この丘から見える黒人街を見て、セントラルパークのウエストに沿ってホテルへ帰った。

Radio City 、Wall Street

次に最近完成したロックフェラーセンターのラジオシティを見る。
これは最高ではないが新様式の大きなもので、延べ床面積約6万坪、
工事費に2億5千万ドルというから日本円にすれば9億円近くになる。
主として貸事務所で、下層階は商店、銀行、郵便局、科学博物館などになっている。


道路に出ると大きなミュージックホールがあり、
レビューやシネマなどが終日終夜満員である。
これは他の日にあらためて見ることにしてサブでダウンタウンに向う。




ニューヨーク最主要都市マンハッタンの南端、
摩天楼の林立するいわゆるドルの中心地、ウォール街の銀行会社街である。
まるで深い谷底にいて、屹立する懸崖を見上げるようで、
今にも倒れかかってくるような錯覚を感じる。
しかも谷川のような道路には自動車と人の流れ、
上から見ればベルトに載せてただ動いているようであり、
ひとたびこの流れに巻き込まれたら最後、
身動きもできないほどで実に恐ろしい光景である。
しかし近頃、マンハッタンの繁華は漸次山の手に北進し、
エンパイア付近からロックフェラーセンタービルあたりに移り、
次第に発展を極めつつあるらしい。


マンハッタンには20階以上の建物が300以上あるそうで、
地盤は岩層で地震の恐れはなく、ヤンキー気質で金にまかせて競争的に、
何もかも世界一を目指して建てている。
この調子で建物が空へ空へと高くなっていったら将来はどんなことになるだろう?
ただ実に物質文明の極致というか、
欧州から来てみるとまるで大工場の機械の側にいるような気持ちになる。

2011年4月28日木曜日

摩天楼を望む〜The Empire State Building〜

2月23日 
今日は早朝から市内見物である。
同行は三越のU君、A氏、T氏と私たちで、案内のU君を加えて6人である。
U君は局長のK氏と同郷同窓だそうだ。


最初にエンパイア・ステートビルを見る。
料金1ドル10銭、10銭は税金だ。
急行エレベーターで80階に上り、そこで乗り換えて頂上へ出る。
今日は濃霧で3里ぐらいしか遠望できない。
地上から1,250尺の頂上の展望台である。
眼下に朝寒の霜柱のように屹立する大小のスカイスクレバー群は実に壮観である。






エンパイア・ステートビルは5番街と34丁目の角にあり、
外装は淡白色の砂岩石で、窓枠、内外の建具類は一切がステンレスである。
内部は壁、床とも多くに大理石が美しく用いられている。
最近まで60階、790尺のウールワースが最高層だったが、
1930年、千尺あまりの75階建てクライスラービルができ、
その翌年、1250尺・120階建てのエンパイア・ステートビルが出現して
世界最高建築となった。頂上には飛行船の繋留塔がある。
この建物はすべてが貸事務所で建物内に執務する者は2万5千人、
他からの出入者が1日6万人、エレベーターの数は57機、
毎日見物客だけで平均4千人ぐらいの出入りがあるそうだ。

2011年4月27日水曜日

NYの第一夜

定刻3時、クイーンメリー号はキューナードの埠頭に横付けになる。
こんな狭いところに来ると巨船は厄介なものだ。
4隻のランチで押したり引いたりしてようやく繋留することが出来た。
現在に於ける世界の巨船クイーンメリー号での5日間の旅もかくして終え、
無事にアメリカの土を踏むことが出来た。


広い建物の中に頭文字順に並べられた荷物を、税関吏がなかなか細かく調べる。
別に問題もなかった。2個の写真機も無事通った。


満鉄のO氏や国米ホテルの出迎えを受け、ミシンで73丁目の国米ホテルに向かった。
ニューヨークでは自動車のことをミシンというそうだ。すでに午後5時だった。
部屋を決めて下のホールに降りると食堂に夕食の用意が出来ていた。
同宿の日本人は約10名だ。
マダムは一々紹介する。食後は夜の市街見物に出掛けた。
サブ(地下鉄)で42丁目まで行き、タイムズスクエアの繁華に驚き、
ラジオシティやロックフェラーセンターの大ビル群を見て、
名物のバレスクを見てから10時頃、ニューヨークの第一夜をベッドに潜った。
気遣ったほど寒くもなく、欧州にくらべて快晴である。


 


国米ホテルは私と同郷のとある未亡人の経営である。
別に1人の婦人がいて、私の姉の嫁ぎ先の上道郡出身ということで自然と色々話をした。
なかなか立派なホテルで、相当に金持ちな住宅街の一角にある。
室内装飾、家具などはかなりのものが使われている。
食事は一切が和食で、在宿人一同で揃って食べる習慣のようだった。
材料の豊富なここでは本物の日本料理が出てきた。
特に色々な漬け物が美味かった。

2011年4月26日火曜日

アメリカ大陸へ


2月22日 
いよいよ今日はニューヨーク上陸の日である。
朝食後、荷物の整理をしてウェーターに渡す。頭文字の札を貼り付け、
別に税関へ提出の荷物のリストなどを作成して差し出す。
事務室ではラウンジチケットや入国税の受取証などをくれる。
船中の知人に別れの挨拶をする。上陸一切の用意は出来た。午後3時上陸とのことだ。

正午頃、すでにハドソン河へ入り左側に大陸の沿岸を望む。
次第に白壁の点々とした家屋が見えだす。昼食頃には左に砲台を間近にし、
前面には遥かに自由の女神像を通して、遠くマンハッタンのスカイスクレバーを霧の中に望む。
やがてロッジで米国官吏の調べに応じ、上陸券の下付を受け、
2時頃から世界の驚異的存在である霜柱のようにそびえ立つ大建築群を目前に、
巨船クイーンメリー号はハドソン河を静かに上る。

競い立つ高層建築、静かに移り変わる景色、人と物質の力、科学文明の局地的存在、
折からの晴天に恵まれ実に身を振るわすような感激的光景である。