2010年4月16日金曜日

マルセイユ発、パリへ




10月10日 
午前9時の汽車でマルセイユを出発。
欧州の汽車旅行は多くの場合2等で十分だ。1等にはほとんど乗っていない。
たまたま乗っているのは無賃乗車の客だそうだ。
しかし2等もなかなか立派で、深々としたクッションは気持がよい。
8人乗りだが今日は都合よく丁君と私の他に1人だけである。
今朝から小雨がしとしと降り、今尚やまずかなり寒い。
しかし車内はちょうどよい程度のスチームが入っている。


景色のよい海岸線を通り過ぎ、山の手に差しかかる。
リヨンまでは実に寂しい景色である。灰色の岩山に小さな樹々を見るばかりで、
野もすべての取り入れを終えたのか何もない。空はどんよりと寂しい。

ところがリヨン市に入ると沿道の景色は一変し、
古色然たる田舎町を左右に、直線的なポプラの木、柏の類、
紅葉の中や緑の野原に牛が放牧され、小川の流れも清らかに、
教会の尖塔を中心とする田舎町、なかなかよい景色である。


リヨン駅からは満員で、私たちの部屋も7人になる。
フランス人は物静かで皆、黙々と新聞に見入っており大きな声で話さない。
今日は土曜日で、大変客の多い間に兵士がたくさん乗ってきた。
彼らは廊下に立ち、あるいは物に腰掛けている。
横を見ると皆少年である。タバコはどうかと急覚えのフランス語で勧める。
好まぬというのもあれば遠慮なく「メルシ」と受け取る者もいる。
1人の若者を捉えて片言のフランス語で話す。手帳を出してまず歳を聞くと、
18だという。丁度憲三と同じである。兄2人が欧州大戦で死んだらしい。
明日の日曜日を田舎の家で過ごすために帰るのだそうだ。
服装のことを聞いた。帽子を「シャッポ」という。なるほど私たちの少年の頃を思い出す。
母からその時分流行した赤いすじ入りの軍帽、いわゆるシャッポを買ってもらって得意であった。
母が逝ってすでに30余年、母の年を過ぎてすでに45年、私も老いたものだ。

将校かと思うような立派な服装をした者が来て、食堂のリザーブをする。切符を渡す。
行ってみると食堂は汚い。満鉄線の方が遥かにきれいである。
食べ物も肉はちょっと美味いが、見たところ乱暴な料理だ。見た目よりも味らしい。
いくらでもおかわりをくれる。見るとフランス人は大抵おかわりをしている。
体格の問題だ。私たちは1皿がやっとである。またここでも備え付けの水はなく、
ミネラルウォーターである。私たちはワインを取って飲んだ。

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