2010年4月1日木曜日

上海


9月5日 午前8時 ようやく台風一過。

大連丸は青島を出帆。同部屋の外国人は別室に去り、
アモイ駐在海軍武官のS大佐と相部屋になった。
昼食後、豪快な世界海軍の動向を聞く。
一時も静止をよしとしない姿を目の当たりにするような心地になり、深い感銘を覚えた。
S大佐は私の学友と同期生で、親も子もなく天涯孤独の身だという。
国家のため犠牲的な活動を続けている。自ずと頭の下がる思いがした。


9月6日 船は濁流の揚子江から黄浦港に入り、
S大佐の指示する上海事業の説明を聞きつつ午後1時、ようやく郵船波止場に着く。
なかなか暑い。華氏90度以上あるそうだ。
同窓のO氏、三井支店長S氏、泰和洋行のN氏、ビューローの方々に出迎えられた。
O氏の自動車にて旅館豊陽館へ向かう。
私は再遊だが丁君は初めてなので、3時頃からO氏の案内で市内見物に出掛ける。

ゼシフイルト公園の野趣、日曜ということもあり相当な人出だ。
弁当を開く日本人、散策する外国人、モダンな支那人と、
国際都市の有様を如実に見る。
帰途、便通を感じておおよその見当をつけた場所へ飛び込んでみたが、
番人の支那女に断られてしまい、たしか有料便所だったはずなのに…と
不思議に思ってよくよく見ると「lady’s only」とあり皆で苦笑する。

夜はM氏の招宴で日本料亭「三幸」に行く。席にはべる美奴は皆九州産だ。
1日の行程で着く地の利であるため、なるほどと思う。
午後10時頃からO氏の案内で「ハイアライ」へ行く。

スペインの国技とかで、2人の選手が負けぬ気で、
長さ60メートル、幅15、6メートル、高さ20メートルほどの長方形のコートに
黒塗りの壁、長辺の片側が見物席になっている。
1ゲーム6人で、2人の選手が各々色入りの上着を着て、
片手にやや半円形で中凹のラケット状のものを持ち、
白いボールを相当な勢いで60メートル先の黒い壁へ叩きつける。
その跳ね返ってくるのをもう一方の選手が受け、また叩きつける。
それを繰り返すのだが、そのうち一方が受け損じたりライン外に出たりしては負け、
次の選手が向かう。しばらくして6人のうち最高点者が勝ちとなる。
それだけのことに対して数万もの観衆が競馬のように、これと思う選手に賭ける。
1枚5円の投票があれば300円くらいになるらしい。
目の色を変え見栄も外聞もなさそうだ。日本人も随分見受けた。


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