2011年8月8日月曜日

ニューヨーク発・ボストン行き

列車はすでに寝台が出来ていた。
10時頃宿のマダムと別れ車両の寝台に入る。
12時頃出発したのだが眠っていて気付かなかった。


3月10日 
午前7時。黒人のボーイに起こされた。
列車はすでにボストンに着いていた。
洗面もそこそこに駅の待合室に出て、大勢の人と一緒にcafeのカウンターで
紅茶とドーナツの朝食を済ませた。たったの10セントだった。
その後タクシーを雇って見物に出た。


ここは話に聞いていた通り、ロンドンによく似ている。
古くさく、煤けて、道路も実に不規則だ。
人口75万、チャールズ河を隔ててケンブリッジに対し、
旧市街は昔日の植民地時代の名残があり、
当時の木造建築など歴史的なものが保存されていた。
ワシントンストリートの繁華街を、ケンブリッジの大学街などを見てまわった。
ボストン大学や図書館、トリンテー寺院を観て、ボストン美術館に入った。
ここは日本の美術品がたくさんあり日本館が出来ているほどだ。
ここで昼食を済ませ、再びタクシーで辺りを見物した。
とあるデパートに飛び込むと、例のシッドタウン・ストライキをやっていた。
他に観るところもないので停車場に帰る。
出発時間までかなりあるので構内にあるシネマを観た。
午後6時半出発、ナイヤガラ行きである。
この列車の寝台はコンバートになり、上下式で洗面台なども付いていた。


さらば、NY

3月8日 
明日はいよいよ当地出発である。諸方へ挨拶まわりをする。
鈴木商店や満鉄に行った。領事館ではカナダ入国の証明をもらう。
朝から雨で濡れながら名残りの街を歩いた。

夕食は私たちの送別の意味でホテルが寿司を作ってくれ、食堂は賑わった。
食後、満鉄の連中と再度ビールで大いに談じた。

3月9日 
いよいよ今夜ニューヨーク出発である。
午前中は荷物の整理など出発の用意に費やした。
ホテルのマダムによると、私たちが予定していたビューローによる旅程は
とても贅沢なもので、まるで貴族の旅行のようであり、
それではかえって面白みがなくそんな必要はないというので、
自らビューローと交渉して一切を変更し、とても経済的な旅程になった。
マダムの親切は感謝に堪えない。
私たちの不認識がかえって諸方に大変迷惑をかけた。
言われるままでいささかの遠慮がこんなことになり心すべきことである。

午後は最後の名残りと1人で2階バスに乗りワシントンスクエアまで行って、
近くのワナメカーに寄り、子供用の雨傘などを買い求めた。
ホテルの支払いは全部で約110ドルだった。
16日間で1日平均7ドルほど。
8時半頃から銭高氏ほか在宿の方々に見送られてホテルを出た。
マダムはセントラル・ステーションまで送ってくれた。
4個の荷物のうち2個はサンフランシスコまで直送することにして、
保険料を1ドル50セント支払った。

ロキシーシアター

3月7日 
日曜。晴れているが少々寒い。
午前中は日誌をまとめ、荷物の整理をする。
昼食後、ナショナルミュージアムやアートギャラリーなどを観た。


夕方からSUBでタイムズスクエアのロキシーシアターに行く。
大きなもので殿堂のごとく大広間から階段、部屋などは金ピカで、
これが映画館とは思えない。
階上の観覧室で観たが50人くらいの列を作り入場する。
大きな観覧室のギャラリーは舞台を真下に見、谷底のような感じだ。
客席はまったく満員で、ちょうどレビューが始まっていた。
何万という観客、レビューの美しいこと、ただ呆れるばかりだった。
2時間ばかり観て午後6時頃から招待を受けていた三井銀行のY氏邸を訪問した。
丁君は気分がすぐれず私1人で行く。
ご夫妻のもてなしに思わず11時頃まで話し込んだ。
満州の話や旅行談などで時間が経つのも忘れるほどだった。



ホテルに帰ったら満鉄の若い連中が4、5人サロンでビールの林を作っている。
いつしか仲間に入って大いに気炎を上げ、
台所からビールを持って来てはたいらげて、
ついに種切れとなり気がついたら2時半だった。