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2010年7月23日金曜日

ザルツブルグ着




2時40分ウイーン発、3時半セントポール着。
この辺りの景色は実に好く、山々の林間に連続する別荘、流れの速い小川、
右手には雲を頂くスイスの連山を望む。

午後4時、汽車はドナウ河沿いを走る。
河幅は広く静かに流れ、夕日に反射して美しい。
草葺き屋根に白壁の農家、
遠くに尖塔のある寺院が樹間にそびえ、紫雲がたなびく。

午後7時半、国境ザルツブルグ到着。
車内でパスポートや税関の検査がある。簡単だが外のプラットホームの先の方で
所持金の取り出しをしなくてはならない。それらを紙片に書いて出す。
その間に自分たちの乗ってきた車両が近くへ移動、
午後10時20分頃、ミュンヘン近くで車掌が来て、荷物を持って行ってくれる。
日本製タバコを持っていないかと言う。
持っていないのでオーストリアのタバコを3、4本やる。
別に荷物運賃として1マルクを渡す。車掌やらボーイやらわからない。
到着したハーフトバンホフは大きな駅である。
「ホテル・カイザーホフ」へ行き、
早速ベルリンからの送金がないか尋ねてみたが来ていないという。

ミュンヘン行き




12月18日 
午前8時の列車で出発予定だったが、朝寝したので10時の汽車に変更し、
タクシーをウエストバンホフに飛ばしたが私たちの切符では駄目だという。
普通列車で途中までしか行けない。
時刻表を見ると午後2時のバリー行きがミュンヘンを通る。
それに乗ることにし、荷物を一時預けにして再度外へ出て
バスに乗り、行けるところまで行ってみた。

ノードバンホフで降ろされた。
付近の遊園地をうろつき、また引き返してリングストラッセの博物館に飛び込む。
日本の部屋があり沢山の物が並べられ、監守が色々と説明してくれる。
三月雛のひと組が飾られていたが、
よく見ると内裏様が下に矢大臣が上に姫君と並んでいる。
これは大変と、直すように言っておいた。
仏像もお稲荷さんも、天照皇大神までもが同居されていた。
まだ時間があるので繁華街のショウウインドウを見ながら駅まで歩く。
クリスマスの贈り物でどの店も綺麗に飾られていた。

2010年7月18日日曜日

音楽の都、ウイーン




T氏と別れて外に出た。
コンサートには時間があるので市街を散歩する。
たくさんの木彫り人形を売っている店で土地の匂いのするものを2、3買う。
クリスマスが近く、キリスト像がたくさん並び、婦人たちがひっきりなしに出入りしていた。

繁華街を一巡してコンサートホールに行く。
礼服の男女で階上も階下も満員の盛況である。音楽会のつもりで来たがコーラスだった。
舞台には400人近い声楽家たちが1人の指揮者のもとで歌う。
間には盛装の婦人による独唱もあった。4回ばかり聴いて出る。
時刻はまだ9時頃で、すぐそばのグランド・オペラへ飛び込んだ。大きな劇場だ。
白大理石が張り詰められ、金色の装いをした案内人が佇む。
ちょっと気が引けたが、勇気を出してブッキングオフィスへ行き切符を買う。
高いのは日本円で約70円、安いのは2円ぐらいからある。
8円程度のところでよかろうと買ってみたが、最上階のギャラリー席だった。
下から5階のところである。ボックスに王侯のように君臨するような態度で着席する。
クレオパトラの何かをやっているようだった。
舞台には5〜600人の各種衣装を着けた男女が、目も覚めるような美しさだった。
2幕ばかり観て出る。近くのカフェで遅い夕食にビールを傾け、よい気持になって帰宿する。

世界は意外と狭いのかもしれない

ウイーン市はオーストリア共和国の首都で人口180万の大都市であり、
市は1つの国家のような自治体で、財政上の独立権限を持ち、
しかもたくさんの私有財産があり、各種の株主となり
多額の出資をしているということだ。
大戦後、市の行政権は多数の社会民主党の手に握られ、
同党の総裁が市長で、120名の議員中80名は同党員で絶対多数を占め、
その指導精神によって遂行されつつある。
ガス、電気、醸造、水道、銀行その他色々を直営しているほか、
社会事業施設として前記の市営住宅、児童に対する各種施設、
老人救護所、病院、助産院、託児所、職業紹介所、無料宿泊所、授職場、浴場、
精神病院、養老院、サナトリウム、火葬場など立派な施設を持ち、
皆相当の成績を上げているようだ。
市の中央をダニューブ河が流れ、美しい橋が架せられている。
その両側の整った6、7階建て白壁の建物は美しい。


オストバンホフ付近の小離宮見物が済むと、午後2時である。
時間があるので地図を開き「どこかへ連れて行け」と言ったがなかなか通じない。
するとそこに通行人が集ってきた。1人の日本人がひょっこり顔を出す。
公使館のT氏だった。とにかく氏の宿まで同行することにした。

氏は最近まで済南領事館にいて、2、3日前に移動してこられ、未だホテル住まい。
私たちも昼食前だったので会食することにした。
令息2人と女中を連れ、夫人も同席された。
話しているとベルリンのK氏とは知己で、ことに夫人は師弟関係の間柄とのこと、
4時頃まで色々と話し、記念撮影をして夫人たちと別れ、T氏と同道、公使館に行く。
訪問者名簿に記入した。懐かしいものだ。
公使は新京におられたT公使だが、折悪しく不在でお目にかかれなかった。


2010年7月15日木曜日

美しきウィーン観光

12月17日 

朝10時からタクシーで見物に出掛ける。近くの宮殿を見る。
フランスのヴェルサイユ宮殿を模倣したのだそうで、
外部はさほどでもないが内部は立派である。
謁見室や会議室、大食堂は特に荘厳かつ美しい。
各室の油絵や各国寄贈の美術品、特に日本の物は目を引いた。
内部も綺麗だが庭園は特に立派で広い。
池や噴水、林に芝生、遠くに美術的な門が見える。
世界の宮殿の中でも指折りなだけはある。

工芸美術館からイーストバンホフ前をリングストラッセに出た。
対立するミュージアム庭園の中央にはクインの銅像、ウイーン大学、
国会議事堂、各宮ゴシックの尖塔のある市役所、チャールズ教会、
自由広場のホテーフ教会などが、この付近で各様式を競っている。
今日は好い天気で、ブタペストの濃霧に気を悪くしていた目には、
太陽の光を仰ぎ見られて晴れ晴れする。
落ち葉の樹間にそびえ立つ美都ウィーンの美的建築へ、
自動車を止めて右に左にカメラを向ける。
議事堂前で写していると、通りがかりの3〜40人の学生が写してくれと
先生の言うことなど聞かずに押し合って寄って来る。


2、3枚写すとしきりに何か言う。多分できたら送ってくれというのであろう。
1人の学生にアドレスを書かせる。皆「アルーアルー」と手をあげて別れる。

自動車は繁華街を古イセントステファン教会前に出る。
外部を一巡して内部へ入るが、薄暗くてよく見えない。
たくさんの参拝者が皆ひざまずき、白衣の僧正から何か口に入れてもらっている。
みな、僧正の祈りで合唱している。なんとなく敬虔な気分に合掌する。

それから国立劇場、チャールズ教会などを見て郊外へ車を飛ばす。
有名なマルクスホフのアパート見物である。
6、7階建ての近代様式で、単紅色フラットの大集団は古都の一偉観である。
戸数1200、人口6000人、託児所、プール、庭園、運動場などが設備され、
内部は玄関、便所、台所に2つの寝室くらいである。
これで家賃は月20●約12円。3室で18円。
この家賃計算には経常費だけで建築費は入れていないそうである。

オーストリア、ウィーンへ



12月16日


午後3時半、オストバンホフでヨセフ君の見送りを受けて出発。
列車は満員で私たちの車両には2人の女客がいた。高話をしてうるさい。
いつのまにか眠ってしまい夢を見た。

憲三と2人で釣りに行って、何かかかるのだがなかなかあがらない。
2人がかりで力を出したところで目が覚めた。
向いの女が私の足元にその大きな足を乗せて穢なく眠っていた。

途中、国境でパスポート検査があり、税関員も来たが別に何も見なかった。
午後4時半、外はすでに暗く彼女たちの高話にも馴れ、いつのまにかうとうとする。

7時半ウイーン・オスト駅に到着。
駅前は暗く、音楽の都の玄関とは思えない。
欧州の駅前はなぜか暗く、もの寂しい。
日本の方が遥かに明るく賑やかである。
タクシーにパークホテルと告げて乗ると、
何か言ったようだったが30分ぐらい走らせてようやく着いた。
ちょっとしたホテルであった。
ここにはパークホテルが2軒あり、駅前に1軒あるのでどうもそれを聞いていたらしい。
部屋も浴室も綺麗で特に水は美しい。


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