2010年4月11日日曜日

スエズ到着





10月1日 
夜10時 スエズ到着。明朝4時出帆でカイロ行きが決定する。
少々風邪気味だが、この機会を逃してはなるまいと諸準備を済ませて就床。
暗黒のスエズ河はなにも見えない。
箱根丸への通知に際し、K君に当方のカイロ旅行の日時を通知する。
しかし返信によると氏はすでにカイロ見学を終え、
1日にポートセッドを出帆とのこと。ついに会うことはできなかったが、
せめて船がすれ違うのではと、速力と距離を計算して午後7時と見当をつけた。

船室にて所用中、突然のけたたましい汽笛に驚いてデッキに上ると、
箱根丸はすでに通り過ぎた後で、
あかあかとした箱根丸の電飾の先鋭が見えただけだった。氏の健在を祈る。
「今からインド洋に行くのか、気の毒に」と言う者もあれば、
「もうじき家に帰ってゆっくりするのか」と羨む者もいる。

紅海は次第と両舷側に狭まり、
右に亜刺比亜の山、左に埃及(エジプト)の山々を望むが、
そのどちらにも1本の樹すらない。
アラビアの山は折からの夕日に赤く輝き、熱風が砂塵を舞い上げ、
全山雪のようなエジプトの山は高く、このためにナイル川は地中海に出たという。
もし紅海に流れていたとしたら、
エジプトの文化はどこになっただろうかなどと思いめぐらす。

スエズはコロンボを距る3,400里、
港の入口にインド人世界大戦参加の記念碑がある。
スエズ運河はよく知られているように、明治2年竣工、完成まで約11カ年を要し、
工費は実に2千4百万●(現邦貨4億円)。
フランス人のレセッブ氏によって成功したものである。
運河の延長は87里である。船は徐行するようだが12、3時間を要する。
推進平均32尺、永久中立地帯である。
運河会社の所有で、本船など1度の運行料に邦貨で片道5万5千円を支払うそうだ。
一切の経費を差し引いても平均12、3割の配当をしているそうだ。
なんと素晴らしいではないか。
何人にも侵されず将来ますます使用頻度は増え、さほど経費は増えない。
こんな都合の良い会社が他にあるだろうか。
永久中立地帯で、日露戦争ではロシアのバルチック艦隊の1部が
悠々と通過したことがあるわけだ。


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