2010年6月21日月曜日

ハンブルグの夜





本日の夕食はこの地の一日本人が経営する日本料理店で、
久しぶりに本物の日本料理に近いものを食べることができた。美味かった。
一品残さず食べた。主人は英国その他にすでに30年あまりもいるという。
日本料理も少々怪しいが、この主人のサービスで色々と話しながら愉快に食った。

食後、東京・浅草のような盛り場、サンポーロの夜影見物に行く。
近付くに連れてイルミネーションで空も明るく、まったくの不夜城である。
大通りの両側は活動写真や劇場、ダンスホール、カフェ、レストラン、
変な見せ物まであり実に賑やか。一流カフェに入ってみる。
正面ではバンドを盛んにやっている。中央はダンス場や余興場。
その周囲の階上・階下のテーブルでは、着飾った男女の客が酒を飲んでいる。
その間にはその手の女も大勢いる。
やがて時間が来ると中央のダンス場が2メートルくらいせり上がり、
4〜50人の裸体の女が舞台が止まるとすぐに踊りだす。
滑稽なものや軽業に近いものなど色々ある。
その間にはお客やダンサーが出てきて、これがまた盛んに踊る。
みな夜会服で着飾り、貴婦人のようだが高級娼婦だそうだ。
これが自分たちの席のすぐそばに陣取って、
席に着くなり「ああ喉が渇いた」などと聞こえよがしに言う。
相手になったら大変だ、知らないふりをして余興を見る。

10時頃ここを出て公娼のいる通りを見た。
裏通りで一丁ほどの通りに、出入り口は木柵が設けられその間から入るのだ。
通りの両側は皆それで、窓という窓に脛もあらわに厚化粧の顔を出し、片言の日本語で呼ぶ。
旧制の公娼廃止の結果、約2万人の私娼がでるようになったということで、
ヒットラーも仕方がないのでこんなことを許しているのだろう。

途中で特産の某氏も加わって総勢5人、もう1軒カフェに飛び込む。
深夜12時頃だが大変な人出である。
蒸れた空気、雑然とした光景、男女の群れが飲み踊り騒ぐ。盛んなものである。
いつしか我らもいい気持ちに酔ってここの一員となる。
2、3度ダンス場に飛び出してみた。1曲の長いこと、へとへとになり、
酒の酔いも色もさめてしまう。宿に帰ったのは2時だった。

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