2011年6月24日金曜日

最後の旅仕度

3月3日 
今日は桃の節句である。
ホテルに来ている西部の日字新聞を見ると、さかんに雛人形の広告が出ていた。
ロサンジェルスやサンフランシスコには約56万の同胞がいるのだから、
日本と何もかも変わりはないらしい。午後はビューローに行った。
アメリカ大陸横断旅行のスケジュールができて、一切の準備も依頼できた。
勧められるままに一等列車の座席急行券、寝台料、
各宿泊先のホテルも予約してもらうことにした。これら一切で約2百ドル。
約17日間の旅で1日約9ドル、日本円で30円ほどである。
もちろん食事代などは別で一週間の汽車賃も別になる。ホテル代およびチップなどもいる。
これらを何もかも含めると恐らく1日60円ぐらいになるだろう。
最後の旅を一流ホテルに泊まり、紳士面をして歩くのも思い出になるだろう。
しかしクレジットの方も残り僅かで、あと100ポンドほどしかない。
この先の予算を建ててみると横浜までやっとというところ。
しかし費用面では大体過不足なしに予算通りに行えた点は成功である。
とはいえ少々心細い。土産物なども目をつぶって通らなければならない。


帰りはメッシー百貨店に立ち寄って昼食を済ませた。
それから53丁目の建築専門書店に行ってみたが特に欲しいものも見つからず、
新刊雑誌等を注文して帰った。
夜は再度味の素支店長の案内で日本人倶楽部へ行く。
欧州各地のそれに対し、実に立派なものである。
すでに建物・土地の所有権を有し、たびたび日本からも貴賓がみえているらしく、
その都度の御下賜品などが飾られてあった。


ホテルには新京の長女から手紙が届いていた。はじめて姉の死を報じてきた。
急性肺炎に胃潰瘍を併発したとのこと、妻をはじめ皆々が死に目には会えなかったそうだ。
想像どおりである。しかし妻は小生の出発以来姉と約5ヶ月間も同居したのだ。
今から考えれば決して偶然ではなかったように思える。
ちょうど私が横浜に着く頃は、百か日になる。早いものだ。
次第に私にも姉の死を現実としてはっきり捉えることが出来てきた。
実に人間の命ほどわからないものはない。
あれほど元気で私を送ってくれた姉が、僅か1年足らずで故人になろうとは。

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