2010年3月31日水曜日

新京を出発。ビザ取得に手間取る


8月18日 午前9時 新京発。

閣下および各位、多数の知己友人および請負関係の方々などによる見送りに
切実な感謝の黙礼を残して出発した。
四平街ではK氏、W夫人らに見送られる。
K氏より浮世絵2冊を送られる。外国へのお土産に適切な物、ありがたく頂戴する。
W夫人よりご主人が病中とお聞きし、快癒を祈る。

午後1時、奉天で現地事務所の方々および土建協会より、O氏のほかY氏など、
たくさんの方々から見送りを受けた。ただただ感謝に堪えない。

午後8時半、大連駅着。
ここでも先輩、友人など多数に出迎えられた。
諸氏より寄せられたご好意を切実に痛感せざるを得ない。
長女らと折から入院中の長男を大連病院に見舞う。
思ったより軽症とのことでひとまず安心する。


翌日から早速、旅券の査証を受けに出掛ける。
まずロシア領事館に行ったが、私の旅程がドイツからソビエトへ入国することになっているので

『我々の管轄ではない。ドイツに行ってしてもらえ』

とのこと。取りつく島がないのでそうすることにする。
次は英国領事館。ここは日本人がいて本当に親切に世話をしてくれた。
しかし外国流に折から正午の休暇時間。彼らは定時にならなければ事務を始めない。
相当詳細に用件、旅程を記入して、翌日午前に下附された。査証料として邦貨11円あまりを支払う。
次いで米国領事館。ここではまず断られた。
というのは、大連の米国領事館は日本の大使館の関東州の出張所だそうだ。
したがって関東州にしか権限がないという。

『関東州で発行したパスポートならここでするが、君のは新京領事館の発行だから奉天でしてもらえ』

とのこと。さあ大変!直接奉天まで行かなければならない。
ええいままよ、当たって砕けろ と少し難しい顔をして、

『それは困る!新京総領事館ではたしかに大連で査証してもらえると言われて来たのだ。
 しかも出発が2、3日後に迫っていてとても奉天まで行くヒマはない。
 電報料は出すから照会のうえ出してほしい!』
 
と頼み、料金を置いて帰った。
翌日午前中に電話で尋ねたが、まだ返事が来ないという。
これはいよいよ奉天行きか…と腹を定めて翌日再訪してみると、許可の報せが来たという。
やれやれと早速ここで詳細な用件や日程を提出し、やっと承認された。
承認に先立ち領事が出て来て、

『米国の諸規定を厳守する誓約を立てるため右の手を挙げろ』

というので仕方がなく挙げる。領事は、

『大変時間が掛かって気の毒だった。貴下の長い旅程のつつがなきことを祈る』

などと丁寧に言われ少し面食らう。感謝に堪えない旨を述べて外へ出る。


ようやくこれで手続き上の問題は済んだ。
合計約21カ国を巡るわけだ。彼の地、英・米・露・ポーランド以外は査証はいらない。
注意すべきは満州で発行されたパスポートに対する各国の査証は
日本国所在の大公使館ではしないことになっている点だった。

つまり、発行場所の領事館でしてもらわなければならないのだった。


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