2010年3月31日水曜日

はじめに




昭和11年8月18日、新京を出発。ひとまず大連に落ち着き、9月2日大連を出発。


大連丸で上海に出て郵船照国丸に乗り込み、10月8日フランス・マルセイユに着くまで
36日間の船中生活。なんでもないといえばそれまでだが、相当に長い。
語学の稽古と各国の事情研究に没頭したが、それでも相当に暇がある。


青島を振り出しに、
上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン、スエズ、エジプト・カイロ、イタリア・ナポリ、
それからいよいよフランス・マルセイユと、十指にあまる寄港地。
それに海の美しいボルネオ海、
脅かされたインド洋、
はては鯨やイルカの群などの珍奇な烈日の紅海、
気候と景色の好い地中海、
あるいは熱帯植物の繁茂する幻想の国インドの、
旅書物に見、話に聞いたこれらをいま目の当たりにして感銘の連続である。

これは自分1人のものにしてはいけないと思い早速各方面へ通信をはじめたのだが、
とてもその都度その都度に書ききれるものではない。
そこで考えたのは、かねて建築協会の泉さんや6馬会同人諸氏から依頼はあったものの、
自信がないので1度お断りしていたことなのだが、
日記をなるべく丁寧に書いておき、
それを会誌に載せていただくことで皆様への通信に替えたらと思い付いた。
もとより拙文につき、皆様にお目にかけるものではないものの、私の直感的寸信だ。

しかしこれとて考えてみると、船中だからこそ暇もあるものの、
上陸後はたして続けられるかどうかはあやしいもの。
しかしやってみると人ごとではなく、自分自身にも得るところがあるので続けてみた。
ところが旅行中は発送がとにかく遅れがちで、日本到着まで結局その半分もお送りすることができず、
赴任後通信でもあるまいと、会誌掲載はひとまず中止。
旅行の気分が失われないうちに別冊として始めたいと思いながら、筆を持つことに自信がないのに加え、
赴任後早々で公務上も落ち着かず、私事には病児の看病、続いて死去…。
一時はまったく放棄したのだが亡児の日記等を見ると、私の誌上の通信を待ちこがれていたようで、
あらためて勇気づけられとにかくまとめてみた。
しかしこんなものを書いてもすでに愛児はおらず、
私自身の他に誰が読んでくれるかと思いながらも書いてみた。
ただ自分の旅の思い出のためと、
旅行中いたるところでお世話になった各位に対する感謝の念を表明するだけでも私の心を満たすものがあり、
しかも先輩知友に対して日頃の御無沙汰をこの機会に精算してお詫びし、
合わせて亡児および表記の諸霊に捧げる次第。
尚、付録として亡児追憶の文を加えさせていただいた。


康徳4年12月9日

亡児忌明の日、新京自宅に於いて  著者







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