2010年10月28日木曜日

ピサ




正月13日 
今日はいよいよ午前11時の列車でローマを出発、ピサ行きである。
それまでに買い物を済ませ、宿の主人や同宿の文理大学のT氏らに
見送られて出発した。今日はとくに好天気で、
列車の窓に燦々とした陽光を受け暑いくらいだ。
ローマに入ったときは夜だったので、今日は車中、外の景色を注意して見た。


山上に城塞が点々とし、家々はみな高く、ススキのような樹木、
円形の松粗石の家は白壁赤屋根で何ともいえない良い色あいである。
急流が苔むす岩を洗い、静かな深淵、
濃い緑の深い森野にヒツジの群れに鞭する牧童、交錯する白牛、
空には一点の雲もなく麗らかな車窓にいつしか夢心地に入る。




午後4時、ピサの古く寂しい街に着く。ホテル・ネチュノに投じ、
早速地図をもらい有名な斜塔のある寺院までぶらぶらと歩く。
人通りの少ない夕方の狭い街路を抜けて10分ほどで着く。
白大理石造の寺院を街角に立って眺めた。
街の辻馬車で市内見物をしたが、30分も回ったら済んでしまった。
ここは1泊するほどの価値はないが、
ゼノニアース間を昼間見ようということで泊まることにした。
しかしこんな寂しい街にも電車とバスがあり、ホテルの前は相当にやかましい。

イタリア建築行政のことなど…




正月12日 
部屋の中は少々寒いが外は風もなく暖かい。
午後2時から陸軍事務所にA末中佐を訪問。夫人、令嬢からご馳走になる。
今年は海外で正月を迎えた私、ことにスイスの山中だったので
祝酒もワインで済ませ、もちろんお雑煮などは望めなかった。
ところがローマに来て、日本館の主人の好意でお雑煮にもありつき、
煮豆や数の子、日本酒もあり、正月気分に浸ることができた。
A中佐の奥様の手料理でお汁粉もいただき、新年のご馳走にもありついた。
これで完全に今年の年もとれるわけだ。感謝に堪えない。


中佐から欧州政局の推移に関する明快な説明があり、
日独伊協定に直面された身として機微に触れたお話が聞けた。
日本民族の発展について偉大かつ的確な抱負を聞き、
視野を広げることができたように思う。一旦決められた国の方針には朝野協力し、
その完全な遂行に専念しなければならない。悪戯に議論すべきではあるまい。
話は政治論から芸術論に渡り、尽きることがなかった。
夕食を勧められたが辞し、記念撮影をして帰った。
事務所は郊外に近い住宅区域にあり、立派なイタリアヴィラ風の瀟洒な家で、
庭には熱帯植物などの緑樹、美しい花も咲いていた。
私の旅行のことから端なく米国廻り●朝の希望を述べたところ、
早速自発的に書面を出し、依頼してくださるとのことであった。感謝に堪えない。


イタリアの建築行政は分散式で、各省それぞれ機関を持ち、
とくに軍隊には建築班があって技術将校がいるとのことであった。
その管理統制的事項については労働省がやっているそうで、
請負はその都度指名競争であり、その従業請負は各職分業で
相当大資本の業者もあるそうで、
これは政府に相当な寄付をしているので特別な扱いをされており、
業者もみな自重して無理な競争はしないそうである。

2010年10月25日月曜日

欧州の文化に思う



欧州の絵画というと、ほとんどが宗教画で、
キリストの奇跡や伝説を基にしたものばかりだ。
聖母の名画などは各種各様、実にたくさんある。
古代から争闘が繰り返されてきた欧州でありながら、
戦争画が割合と少ないのは意外に思えた。花鳥風月ものも非常に少ない。
あるものは甚だ写実的で、絵柄色相など実物そっくりに浮き上がって見える。


建築技術にしてもその発達の特徴は多くが宗教的で、
信仰的念願の努力によるもので、
2千年も前によくあんな大きなものを石造りで、
しかも複雑な様式で造ったものだとつくづく感心させられる。
高い塔や大きなドームなどは決して鉄骨でも鉄筋コンクリート造でもない。
ただ石を積んだものである。当時はセメントなどなく、多くは石灰のようだ。
石は破損しても目地の石灰はそのまま残っている。
大きなドームを造る時はその側壁を構成し、砂を詰めて形を作り、
石を迫持式に積んで造られた。
金と時間を考えなかった時代のこと、思いきったものも出来たのだろう。
物質文明の今日ではちょっと真似ができない。
市街を囲む城壁、あるいは門なども支那、満州のものに酷似し
その平面構成にも日本の築城と共通性がある。
期せずして東西技術の相似を痛感した。