2011年1月19日水曜日

姉の死

正月23日 
三井支店へ行く。丁君は気分が優れないので1人で出掛けた。
局から電報で「願の件を許可する」とあった。これで米国経由で帰れる。安心だ。
次に局の矢追氏から長文の手紙が来ている。最初に


「奥様は正月4日、大連の御令姉が死去されお子様共々大連へ行かれた。
 今妻から電話があったのでちょっとお知らせします」とある。


大連の令姉…令姉といえば梅本の姉しか今はいない。
梅本の姉が死去…?
あの達者な姉が、何かの間違いだろう、とふたたび手紙を見直す。
しかし「令姉」とはっきり書いてある。
これは大変だ…!私には信じられない。そんなバカなことがあるものか。
出発の朝、あんなに元気で色々と注意してくれたり、別宴の食卓の用意をして、
別盃をくんだではないか。あの姉が…。私は頭が混乱して何もわからなくなった。
支店長が昼食を一緒にと勧められたが、それどころではない。
一応お断りしたが、先達からお話もあったことでもあり、断りかねて結局お供をした。


シャンゼリゼの立派なレストランである。
たくさんのご馳走が出たが、私には味も何も感じられない。
つとめて平静にと心掛けたが、話はとんちんかんなものになる。
支店長は近々ロンドンへ赴任予定で、海外居住者は子供の始末に困るという話から、
私に『子供をどうしているか』とお尋ねになり、
一部分は新京に、3人ばかりは大連に、と答えると、
『奥様が付いておられるのか』と聞かれ、いや姉が…といったきり後が続かない。
涙がぽたぽたと落ち、もう立派な部屋も紳士淑女も何もかも見えなくなった。

早々に支店長と別れ、1人でシャンゼリゼからコンコルド広場まで歩いた。


公園のベンチに腰掛けて再度手紙を出してみる。
やっぱり令姉とある。梅本の姉に違いない。留守宅からは何も言ってこない。
知らせたからといってかえって心配させるだけだと知らさないのだろう。

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