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2010年7月1日木曜日

プラハ市内観光




12月14日 


今日は私の誕生日である。
昨夜はよく眠ったので今日は6時に目を覚ます。
9時半、ホテルの前にクックの観光自動車が来た。
車内に1人の日本人がいると思ったら支那人だった。
市役所広場に行く。例の、時季節満干その他を表示する時計塔があり、
その時計は音が鳴るのと同時に窓が開き、歴代の皇帝の人形が回転式に出てくる。
ちょっと子供騙しのようだが、外国人は感心して見ている。

内部の会議室や礼拝堂を見る。
広場の中央には革命家ヤンズの石像がある。
市を貫流するウルタバ河の橋は世界名橋の一つだ。
「カルフス橋」といって彫像が陳列し、実に立派なものである。
橋を渡った高台の大宮殿は大統領府で大きな教会がある。
その下にある500年も前の小さな古い家で、絵はがきだの土産物などを買う。
ここでちょっと休む。30人ばかりの外人たちが、私の持っているコンタックスを珍しがる。
なるほど、見ると彼らは皆、コダックを持っている。
外国の街で写真機を持って歩いているのは大抵日本人で、
しかも皆よい機械を持っているそうだ。
案内人が小声で「あれは日本人か」と例の支那人を指して聞く。
「いやキネだ」と言ったら、どうも変だと思ったと舌打ちしていた。
2、3の日本語など話していた。

ここには「マサリックホーム」と称する、
大統領の名を冠した社会施設の立派なものがある。
非常に完備されたもので、養老院や教育院を兼ねた有数の社会設備であるが、
郊外にあるため時間がなくて見られなかった。

チェコの歴史少々…




チェコは焼き物がよく、特に人形類はよいと知っていたので見たが、
昔と変わってすべてのものが俗悪化され、昔の物はほとんどない。
小さい人形に面白いものがあったので3つばかり買い求めた。
1つ25クローネ、約3円である。

ホテルに帰って食堂で飯を食っていると、S博士やN氏が到着された。
彼らとはよく出会う。世界は広いようで狭い。

チェコは世界大戦後、ヴェルサイユ条約で民族自決主義の名のもと、
チェコ民族としてつくられた国である。
大戦前、ロシア、オーストリア、ハンガリー、ドイツなどの各国から
土地を削り取ってできた小国で、日本は大戦当時、
チェコ軍救援にシリア出兵までやり多大な犠牲を払ったにもかかわらず、
1933年、ジェノバでチェコの代表が一番に立ち、
満州承認に反対を唱えたことは我が国民のよく知る通りである。
こんな小さな寄木細工のような国は、欧州大陸牽制のため
国際連盟に頼らねば存在できない。欧州はなかなか多難だと思う。

2010年6月28日月曜日

プラハ到着




列車は20分ばかり遅れて4時10分、プラハのマサリックバンホフに着く。
ここには同国の恩人、現大統領マサリック博士の銅像が建っている。
駅前でエスプラナードを呼んだら大男のポーターが来て荷物を持って歩き出す。
近くだろうと思って付いて行ったが、どうしてなかなかある。
しかも大男に付いて歩くのはかなり骨が折れた。
曲がりくねった道を行きホテルに着いた。
広間の横はカフェで、外からも入れるようになっている。
ちょうどお茶の時間で大勢の男女で賑やかだった。
事務員は英語を話すので、明日のルンドハルト(観光)を頼んだ。

まだ5時で夕食には早く、丁君と2人で地図を頼りに外へ出た。
ホテルの前から後ろに行って広い大通りに出る。非常な人通りである。
反対側などは歩けないほどだ。よく見るとここは左側通行。
欧州の都市は所によって左右が変わるので旅行者は大変だ。
たくさんの人にもまれながらショウウインドウを覗いて歩く。
今日は日曜日で特に人が多いらしい。
クリスマスも近く、いわゆる年末気分なのだろう。
商品も多く、若い夫婦連れが乳母車を買い、2人で持って行く和やかな光景を見た。
ここでは日曜日でも開いている店が相当にあった。


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