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2010年5月19日水曜日

スカンジナビア諸国の素晴らしさ




コペンハーゲンにはたくさんの公園があり、しかもよく設備してある。
自動車道路、遊歩道のある海岸公園の仕事の立派なこと、
主要な建物付近には色々な銅像もある。多くは裸体だ。
とくに海岸にある自然石の上の乙女の裸像は自然な美しさで実によい。

デンマークは小国でありながら、
世界の農業国として各種のお手本になっており、羨望の的である。
しかもそれは天恵の力ではない。
国土は貧弱な砂土が多く、池沼の多い湿地で、
牧場にはいいが農業には甚だ不適であった。
それを勤勉なこの国の人々が人工的に施肥し、耕地として改善に努め、
今日の姿にまで至らしめたのである。
特にミルクやバター、チーズなどは世界一の良品ということである。

海軍と漁業のノルウェー
農業のデンマーク
木と鉄のスゥエーデン   
実に平和で文化的な国々。
フィンランドを含む4カ国の国際関係はきわめて良く、
国民は安定し、戦争などなく、
他の国が軍備に悩まされる間にこれらの国民は、
生活改善の努力に集中することが出来る。楽園を作りつつあるのだ。

期待久しきスカンジナビアの旅も今日で終り、
明朝9時発の飛行機で再度ベルリンへ飛ぶ。
天候に恵まれ、晩秋の景色は旅情をなぐさめ、
常緑樹の林、白樺の密林、池沼は美しく、
静かに木造のバンガローに暮らす国民の和やかさ。
ストックホルムのタウンホールの詩の如く、夢のような存在である。
自然を制服した人間の力の偉大さを思う。

ああ懐かしく、永久に忘れ得ぬスカンジナビア諸国よ。
親しみ深いこれらの国民よ
永久に平和なれ。

2010年5月17日月曜日

再度デンマーク、コペンハーゲンへ




11月17日 
ヘルシンキボルクで車両は汽船に乗り、静かに動き出したので目が覚めた。
30分ばかりで陸の列車に接続し、すぐまた走り出す。
2時間ぐらいでコペンハーゲンの中央駅に到着した。
汽車中で夜明けの麗らかな朝日を拝した。

農業国デンマークの農村はさすがに手入れが行き届いている。
整然とした耕地が続き、栗林、青い芝生、赤屋根の住宅、
樹下に群れ遊ぶ鹿、静かな池に水鳥のつくる波紋、
晩秋の印象深きスカンジナビア旅行は生涯忘れ得ぬことだろう。



今度はホテル・グランドに泊まる。タクシーで市内見物に出た。
寺院や宮殿、大学やミュージアムも見た。
例のラウンドタワーに上って市内を見下ろしたりもした。
ミュージアムでは有名作品の前はどこでもそうであるように、老婆が丹念に模写している。
立派な彫刻の前では学生がデッサンをして先生に批評してもらっている。
赤い外套を着たセクレタリーと一緒に写真に写る。

5時からやっとわかった「レストラン・スカラ」で夕食をとる。
ここの料理はオードブルだけを食わせるのである。
試みにスペシャルをとってみた。
およそ30数種の山海の珍味が次から次に出され、とても食べきれない。
10人分くらいの料理である。これが日本円で5円くらいだ。
ちょっと田舎者をやってしまったわけだ。
ここでは7時から音楽もやり、ダンスなどもあるそうだが、
まだだいぶん時間があるので一旦外へ出た。
ホテルに帰っても仕方ないので、目の前の活動館に飛び込んだ。
アメリカものでサンフランシスコの震災を題材にしたものをやっていた。


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2010年5月15日土曜日

オスロを発ち、一路コペンハーゲンへ

さて、何もかも見てしまって午後2時。しかし辺りはすでに薄暗い。
午前10時頃ようやく夜が明けて、2時にはぼつぼつ暗くなるのだ。
これが夏だと反対に夜が短くなり午前12時でも真昼のようで、いわゆる白夜となるのだ。
仕方ないので夜7時半の列車でコペンハーゲンに帰ることにした。
早速寝台車を申し込むとすぐにリザーブできた。
気候は少々風があり、海岸近くなので寒いが大したことはない。


ここの街でも珍しそうに私たちを見る。ホテルで飯を食い勘定を済ませた。
宿泊しないので高いチップも1割しか取らない。
女事務員をつかまえて寒さの程度を聞くと最低で零下30度になるという。

荷物を停車場に運ばせて駅まで歩く。
10歳ぐらいの子供が3、4人ついて来る。英語で話しかけてみたが通じない。
あまり話しかけるので向こうも気の毒と思ったのか、
中の1人がポケットからシガーを出して勧める。
僕はシガーは呑まないと言い、自分の持っていたタバコを出してやると皆スパスパとやる。


駅にはすでに列車が横たわっている。
私たちの乗るところは最先端だ。食堂車まで12両戻らねばならない。
これは途中ヘルシングボルグで海峡を渡る時、1、2等車のみそのままで
デンマークの列車に接続するのだ。定刻近くなってもなかなか荷物を持ってこない。
やっと2分前に悠々とやって来た。
老婆に連れられた6、7歳の子供が、窓の外からしきりに中を覗いている。
こちらから手招きすると、窓の近くにやって来て手を振る。
動き出した列車を追って婆さんを困らせていた。
子供は可愛いものだ。家の子供たちのことを思う。
例によって旅券や切符の調べがある。
途中の駅で乗り込んだ女ボーイがベッドの用意をする。
その間私たちは食堂車に行って夕食を済ませ、
ビールの勢いでベッドに潜り込みいい気持ちで寝た。




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オスロ着、市街を観光する




11月16日 
午前7時頃車掌がパスポートを返しに来た。
窓の外は落葉樹や白樺の密林で、雪が降っている。渓流が白濁している。
木造ペンキ塗りの家が続き、氷結した湖の氷を二尺ぐらいに切り出していた。
オスロ近くの駅で電気機関車に替える。
税関員が来る。やがて午前9時半、オスロ駅に着いた。


オスロはノルウェーの首府で、人口25万くらいの小都市である。
駅から西北へ走る大通りがメインストリートで、その正面の高台に王宮がある。
王宮の前では儀●兵が二人、左右に動作を揃えて歩く。
まるでおとぎの国の兵隊さんのようだ。


ホテル・アストリアのポーターに荷物を渡し、ふらふらと歩いて行く。
ホテルで簡単な朝食を済ませ、例のごとく地図をもらって街に出る。
広場からロイヤルパレス博物館を観て、パレスの裏庭に出る。
二人の子守りが5、6歳の子供をたくさん遊ばせている様子をカメラに納めた。


皆元気で、遠慮なしに集ってきておすましをする。
持っていたチョコレートをわけてやると大手を上げて喜んだ。
街の中から海岸に出る。
街は今、新市街計画を実行中で、大きな市庁舎や付属の建物が建築されている。
所々に新様式の建物があり、古い家とおもしろいコントラストだ。

通りすがりのデパートに飛び込んでみる。見物していたら男の店員が出て来た。
玩具店では玩具の飛行機やセルロイド人形を手にし、これは皆日本から来たのだという。
何か珍しいものはないかと尋ねると妙な形のナイフを出してきた。
ノルウェー人形の鉛筆入れなどを見せられて2、3個買い求めた。




寝台列車でオスロに向かう




今夜の出発に向けて宿に戻り、宿料を払うとサービス料に2割5分も取っている。
大体が1割か1割5分なものだがここは少々高い。
宿料も日本円で1日約11円ついている。これをポンドで支払う。
この国の金が少々残ったので、交換を頼んだができないという。
仕方ないので駅で温かいソーセージや果物を買い込んだ。
ポーターらにやったりしてちょうどコレクション分くらいが残った。


列車は定刻10時5分に出発するも、私たちの考えとは逆方向に走りだす。
少々不安だったが列車は確かにオスロ行きとある。
寝台車は2人部屋で上下段である。料金は1人あたり日本円で約10円。
役人が来て旅券と切符を調べる。
パスポートは引換券をくれて明朝渡すという。
疲れたのですぐにベッドに潜り寝てしまった。

2010年5月13日木曜日

ストックホルム市街観光

11月15日 
日曜日。朝から昨日に増す好天気で、
街は静かだが、ピクニック姿の男女が右往左往している。
今日は市内見物である。

英語ができるタクシーを頼んで出掛ける。
大学や兵営博物館、動物園、池畔の公園、夏の盛り場、
議会や寺院などを見て、さらに郊外の離宮に行った。
古い建物で庭園がよい。
中にチャイナハウス(ここかも)というのがあって、
勧められるままに50銭の入場料を払って入ってみたら、
なるほど支那の美術品が僅かに飾られて、壁などにもそれらしい装飾がしてあった。
支那のものばかりかと思ったら、日本の金蒔絵の飾り棚や
丸に十の字の紋章のある御駕があった。
おそらく薩摩の島津候かなにかのものだろう。あまり日本人の訪ねる者もあるまいに。

2時頃見終えて付近のレストランで昼食を食べる。
昨日からろくに食べていないので美味いこと、特にチーズは美味かった。
今夜10時の急行でノルウェーのオスロ行きである。
初めて欧州の寝台車に乗るのだ。
美しき水の都、スウェーデンのストックホルム。
人口約50万の、森と島と湖と海と橋の都である。

再度市庁舎を訪ねる。湖水際のテラスのベンチに腰掛けて飽きずに眺めた。
英国の議事堂が持つ、何のこだわりもなくすくすくと育った貴族的な存在と、
社会の荒波をくぐり抜け、洗練された良さということを考える。
それにしても偉大な存在である。

2010年5月12日水曜日

ゼーテルマルムの立体交差点

ストックホルム市庁舎の美的建築に酔いしれたのち、
通行人に尋ねながら「レストラン・カタリーナ」へ行く。
崖際には10階ばかりのモダン建物が海に向って建ち、
ブリッヂを架けた端にエレベータがある。
これを上下して橋の上のレストランで飯を食うのだ。
内部は鉄骨と窓の格子など、まるで飛行船に乗っているようで市街を見晴らせる。
しかもこの下は世界でも有名な4〜5階造の道路で、
橋になり地下道になり、汽車も通れば自動車も電車も人も、
数段の湾曲した道を右往左往し、一度も交差することがないようにできている。
これがストックホルム自慢の上下式交差点で、
上から見ていると右からも左からも自動車や電車がぐるぐると回って
ドンドンさばけていく様は不思議な感じがする。
一級の土木工事は必ず見る必要がある。

3時半、辺りはすでに暗く電灯がつく。
ここから見る電飾の市街は、水面に反映して実に美しい。
ホテルの近くに戻り、最も繁華なキング・ストリートを散歩する。
最近できたモダンなコンサートホールの前へ出る。
長々とした柱、横にあるひょろ長い人像の群の噴水を見ながら
無遠慮に内部に入り、金ピカの案内人に内部を見せてもらう。
今日は小ホールで学校の催しがあるといい、たくさんの女学生がプログラムを買っている。
無遠慮な闖入者を珍しそうに眺める。そこを出て付近の活動写真に入る。
単純な紅色の布地で張りつめてある。
アメリカものを2時間ばかり観て出ると、次の客がペーブメントにいっぱいであった。

ホテルに帰り日記やハガキを書いていると、1時近くなっている。
今日は午後2時頃に飯を食ったのみなので少々腹が減っているけれど、
今頃仕方がないので我慢して寝る。

2010年5月11日火曜日

素晴らしき、ストックホルムの美的建築




11月14日 
私たちの行く先は不思議なほど晴天に恵まれる。実に幸せである。
地図を片手に徒歩で公使館を訪問した。


ここには最近まで新京総領事館におられたS書記生が来ておられる。
氏は私のパスポートを作製された方で、お互いこんな所で会うとは思わなかった。
氏は1週間前に着任されたばかりである。
早速ここの宮内庁に電話を入れると見学を許され、すぐに来いという。
タクシーを走らせ、約200年前の宮城を詳しく見ることができた。
現在皇帝が住んでおられる所以外は全て見た。
案内の女官とお互いにブロークンな英語で、わからなくなるとお互いに笑う。




宮内省の建築技師にも面会し、議場や礼拝堂を見せてもらい、貴重な図面なども見た。
2時頃に済み、見当をつけてふらふらと、湖畔に建つ有名な市庁舎に行く。
全体が濃い褐色で、粗面のフェースブロックを無造作に積み、
彫刻なども荒削りなもので、無頓着な中にも全体がよく調和した
ラフで実に芸術的なやり方である。
回廊の壁面なども凹凸のでたらめな積み方の上に、モルタルの木●仕上げである。
そこに表現的なレリーフが施され、屋根は大部分が銅板葺きで緑色に錆び、
要所に金色をあしらってある。その屋根に突然赤レンガ葺きで接続している。
実に繊細なモルディングにスリツな窓、レンガ装飾のおどけた渋み、
棟の位置とその大胆なアウトライン、
回廊の天井は古材の木地のままの格天井に単純な絵、
ラフな壁との調和のよいこと、実に渋いものである。

内部がまたよく洗練され、思いきったことがやってある。
金色の大ホールは全面金色のモザイクである。
その派手な渋み、装飾品と調度品とがよく合わせてある。
有能な建築家に何ら干渉せず一任したものだろう。
またその建築家が大胆にその個性を発揮し、しかも成功している。
実に偉大な存在である。羨ましい。明日もう一度見よう。
(市庁舎のimage)

2010年5月10日月曜日

ストックホルム着

駅に戻り、ストックホルム行きの列車に乗り込む。
定刻になると何の合図もなしに発車する。2等車は綺麗。ここでも喫煙車は別だ。
沿道は概ね平地で砂糖大根の畑が続き、丘山は森だ。
大小無数の沼沢や湖水が続く。
秋の終りで紅い葉陰は裸木の下に毛布を敷いたようだ。
苔むす岩、茅葺き・白壁の農家、白いカーテンの窓辺、
白樺の葉、杉の大樹、紅葉の古木、実に美しい。

停車場ですれ違う列車の窓からは、子供たちが珍しそうにこちらを覗き見る。
食堂車の窓越しにビールのコップを挙げると、皆笑いながら手を挙げる。
同車の人も皆ニコニコと、車掌もすこぶる可憐だ。
列車には席ごとに飲料水が置いてあり、女中が何度も取り替え、飲めと勧める。
列車の温度もよく調節してある。

夜10時半、予定に10分ほど遅れてストックホルム着。
暗くてよく見えないが、線路際まで水が迫る。水の都に来たのである。
5色のネオンが水に映り綺麗なものだ。
橋の連続が見える。乗客たちが向こう側へ共に付いて出た。
かねて聞いていたホテル・コンチネンタルに投宿する。駅前で少々やかましいが、
案内された部屋は見晴らしのよいこざっぱりとしたバス付きの部屋だった。
フロントで地図をもらい、明日の観光を頼む。
しかし今時分は時候が悪くやめているそうなので、タクシー観光にした。

ああ、多年憧憬のストックホルムに着いたのだ。
まだ見ぬ街、明日を楽しみにして入浴後眠りについた。

コペンハーゲンからストックホルムへ移動

11月13日 
デンマークへは帰途再度立ち寄るので見物はその時にと11時出発。
オレスノという埠頭からスウェーデンのマルメまで汽船で行く。
連絡船は小さいが船員の話では海は静かだという。
今日も朝から小雨である。左手は市街地公園、
右は工場や石炭積込み所の大掛かりなものが2ヶ所ある。
気船がたくさん着いている。軍艦などもいた。
1時間半でマルメ着。ここでも旅券や荷物一切の届け出をする。
駅まで行って1ポンドばかりこの国の金に換えてみたら、19クローネ25になった。


ストックホルム行きは2時半に出るのであと1時間あまりあり、
荷物を一時預けにして街へ出てみる。
洗い出し積みの家が多く、実によい色のレンガがある。
特に赤花崗岩のいい形をした家があった。
通行人たちは我々が珍しいのか、囁きあったり振り返ってみたり、
立ち止まってみたりするので気味が悪い。しかし悪意はなさそうだ。
広場で写真を撮っていると、学校帰りの女学生が4〜5人、立ち止まってこちらを見る。
カメラを向けて一緒に写す。アドレスを聞き送ってやることにした。
皆顔立ちの整った可愛い子供たちである。

2010年5月8日土曜日

デンマーク

市街は赤煉瓦の家が多く、あまり装飾されていない。皆5〜6階建てである。
ここはデンマークの首府でバルチック海の●門であり、
北欧諸国の物資の集積地でもある。
その名は「商人の港」を意味し、人口約70万、
このうち本国人はわずか5分の1程しかいないそうである。
有名な市役所もすぐそばで、雨の中その前のパレスホテルへ徒歩で向った。
高い塔のある大きな建物で市役所などと同様に有名なものだ。

午後3時、雨のせいもあって薄暗く、電灯がついている。
夕食はかねてから聞いていた「スカラ」というレストランを
試そうと思って探したが見当たらない。ホテルに帰り昼食を兼ねた夕食を済ませた。
日本円で5円50銭くらいとやや高いが日本人の口に合い、割合に美味かった。
食後、雨も小降りになったので外へ出る。
街のあちらこちらにたくさんの銅像がある。
例の少年○●手の銅像もあった。
賑やかな街の中、2時間ばかりショーウインドウ見物をして帰った。
部屋にバスがないのでパジャマのまま廊下の様子を見て飛び込む。

スカンジナビア旅行へ出発

11月12日 
雨降り。今日は飛行機からの眺めも悪いことだろう。
11時半頃タクシーをテンペルホーフの飛行場へと走らせる。
12時40分出発。
郊外の景色を眺めながら、約20分で到着。モダンな空港である。
建物の上から数えてみたら、広い飛行場には約50機もの飛行機があった。
手荷物や旅券の検査では所持金のマルクを調べられ、
10マルクより少々余計にあったので、そこの現金取り扱い所に預ける。
写真機や荷物も一緒に預けなければならない。
機は14人乗りの大型で、定刻にプロペラの爆音勇ましく簡単に上昇した。

眼下のベルリンの街はまるで木造模型のようである。実に整然としている。
○ベルリンの●の歴史的な建物やドームが○えている。
やがて密雲に入り何も見えなくなった。機は少しの揺れもない。
軽い爆音にいつしか夢心地になる。
1時間あまりが過ぎ、ふと目を覚ませば雲間に海上が見え隠れする。

やがてデンマークの突端、コペンハーゲン入口砲○の真上を通った。
まもなく飛行場へ着いたが地上は嵐で、横殴りの雨が叩きつけている。
この強風の中をよく飛んだものだと思う。
ここでも旅券や荷物の検査があり、待機していた飛行会社のバスで市街地に向う。
約30分でコペンハーゲン中心地に着いた。飛行時間は約1時間であった。