2011年4月28日木曜日

摩天楼を望む〜The Empire State Building〜

2月23日 
今日は早朝から市内見物である。
同行は三越のU君、A氏、T氏と私たちで、案内のU君を加えて6人である。
U君は局長のK氏と同郷同窓だそうだ。


最初にエンパイア・ステートビルを見る。
料金1ドル10銭、10銭は税金だ。
急行エレベーターで80階に上り、そこで乗り換えて頂上へ出る。
今日は濃霧で3里ぐらいしか遠望できない。
地上から1,250尺の頂上の展望台である。
眼下に朝寒の霜柱のように屹立する大小のスカイスクレバー群は実に壮観である。






エンパイア・ステートビルは5番街と34丁目の角にあり、
外装は淡白色の砂岩石で、窓枠、内外の建具類は一切がステンレスである。
内部は壁、床とも多くに大理石が美しく用いられている。
最近まで60階、790尺のウールワースが最高層だったが、
1930年、千尺あまりの75階建てクライスラービルができ、
その翌年、1250尺・120階建てのエンパイア・ステートビルが出現して
世界最高建築となった。頂上には飛行船の繋留塔がある。
この建物はすべてが貸事務所で建物内に執務する者は2万5千人、
他からの出入者が1日6万人、エレベーターの数は57機、
毎日見物客だけで平均4千人ぐらいの出入りがあるそうだ。

2011年4月27日水曜日

NYの第一夜

定刻3時、クイーンメリー号はキューナードの埠頭に横付けになる。
こんな狭いところに来ると巨船は厄介なものだ。
4隻のランチで押したり引いたりしてようやく繋留することが出来た。
現在に於ける世界の巨船クイーンメリー号での5日間の旅もかくして終え、
無事にアメリカの土を踏むことが出来た。


広い建物の中に頭文字順に並べられた荷物を、税関吏がなかなか細かく調べる。
別に問題もなかった。2個の写真機も無事通った。


満鉄のO氏や国米ホテルの出迎えを受け、ミシンで73丁目の国米ホテルに向かった。
ニューヨークでは自動車のことをミシンというそうだ。すでに午後5時だった。
部屋を決めて下のホールに降りると食堂に夕食の用意が出来ていた。
同宿の日本人は約10名だ。
マダムは一々紹介する。食後は夜の市街見物に出掛けた。
サブ(地下鉄)で42丁目まで行き、タイムズスクエアの繁華に驚き、
ラジオシティやロックフェラーセンターの大ビル群を見て、
名物のバレスクを見てから10時頃、ニューヨークの第一夜をベッドに潜った。
気遣ったほど寒くもなく、欧州にくらべて快晴である。


 


国米ホテルは私と同郷のとある未亡人の経営である。
別に1人の婦人がいて、私の姉の嫁ぎ先の上道郡出身ということで自然と色々話をした。
なかなか立派なホテルで、相当に金持ちな住宅街の一角にある。
室内装飾、家具などはかなりのものが使われている。
食事は一切が和食で、在宿人一同で揃って食べる習慣のようだった。
材料の豊富なここでは本物の日本料理が出てきた。
特に色々な漬け物が美味かった。

2011年4月26日火曜日

アメリカ大陸へ


2月22日 
いよいよ今日はニューヨーク上陸の日である。
朝食後、荷物の整理をしてウェーターに渡す。頭文字の札を貼り付け、
別に税関へ提出の荷物のリストなどを作成して差し出す。
事務室ではラウンジチケットや入国税の受取証などをくれる。
船中の知人に別れの挨拶をする。上陸一切の用意は出来た。午後3時上陸とのことだ。

正午頃、すでにハドソン河へ入り左側に大陸の沿岸を望む。
次第に白壁の点々とした家屋が見えだす。昼食頃には左に砲台を間近にし、
前面には遥かに自由の女神像を通して、遠くマンハッタンのスカイスクレバーを霧の中に望む。
やがてロッジで米国官吏の調べに応じ、上陸券の下付を受け、
2時頃から世界の驚異的存在である霜柱のようにそびえ立つ大建築群を目前に、
巨船クイーンメリー号はハドソン河を静かに上る。

競い立つ高層建築、静かに移り変わる景色、人と物質の力、科学文明の局地的存在、
折からの晴天に恵まれ実に身を振るわすような感激的光景である。