思い掛けなく外遊を命ぜられた私は、歓喜と感謝と希望と杞憂、
寂寥、勇気などなどの錯綜する気持ちに投げ入れられた。
出発前、第一に語学と費用と服装などの準備に当惑し、
さらに任務という1つの責任に厭迫を感じたが、
局長、所長らの親切な御指示があってようやく出掛ける決心もついた。
早速、旅券下附用の写真を撮るなど、旅程をあれこれと研究しはじめた。
先輩の注意もあって、世界文化の発達の順序を追って行くことにする。
つまり、インド洋から先に欧州諸国を見て周り、
帰途、米国を経由し横浜へ帰港という順序に決定した。
その間に各種の参考書を集め、研究を始めた。
先輩、友人からも同様の書物を沢山いただいた。時間を要する物の注文もする。
旅券は新京日本総領事館へ2、3度足を運び、割合簡単に下附された。
もとより普通旅券である。ただし職業のところには「満州国官吏」とある。
無論外交部の満州国旅券をもいただいた。これは公用旅券である。
外交部から各国の日本大公使館宛依頼状を出してもらうように依頼した。
尚、K氏を通じて三井、三菱の在外各支店へも依頼状をお願いした。心強いことだ。
いよいよ公報にも出た。辞令もいただいた。旅費は大連で受け取るように小切手でもらった。
これら一切の手続きに関してはE氏、N氏、S氏にとてもご厄介になった。感謝に堪えない。
そろそろ送別会が始まる。
六馬会全員として中央飯店で盛大に、しかも切実の送別をいただいた。
局長、所長ら幹部の方々からは料亭開花で丁寧なお招きをいただいた。
あの晩は本当に我を忘れて愉快に過ごし、ついに家に帰ったのを覚えていない。
同窓の方々からは親密な会が扇芳亭であった。
土建協会の方々からはヤマトホテルで、S会長、H顧問から懇切な挨拶をいただいた。
とくに感激を覚えたのは、満州産の建築家の方々から送別をいただいたことである。
主として伏水会工専の方であるが、満州において育ち、教育され、
しかも現在満州の各方面で活動しておられる有為の青年諸氏である。
これらの方々こそ真に郷土愛に燃え、永遠の墳墓の土地として熱烈な努力を続けておられる、
いわゆる真の満州人ではないだろうか。
やがてこれらの人の満州の時代が来ることであろうが、それにしても嬉しかった。
宮廷造営係の方々との遠慮のない集まりもあった。
建築家として、重大かつ意義のある事業に従事されつつある諸氏には
特に自重されるよう話したと思う。
そのほか、個人の方々からも幾多のお招きにあずかった。
まったく感激と感謝との看過、
諸氏のご好意を双拳にすると自信が持てる。
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